山中亮平のあきらめなかった4年間のこと。
これぞまさしく「3度目の正直」。2011年、2015年と日本代表でありながらワールドカップのメンバー入りのチャンスを逃しつづけた男がいる。その男は、初の自国開催でのラグビーワールドカップ2019の日本代表31名についに選ばれた。31歳での初出場である。
あらためて、前回ギリギリのところで選ばれなかったその日から、どうしてここまでたどり着けたのか、を本人に訊いてみた。
「あきらめなかったから、ちゃう?」
真剣なまなざしでそう語る山中亮平のことばは、ことばにするとありきたりだけれど、そこに無数の想いがぶら下がっていて、そうとうな重みを感じる。一方で、ワールドカップのメンバーに選ばれてから数日経ってから、彼はこんな話もしてくれた。
「『いま』のおれを見てくれる人がいないんだよね‥‥」
やまちゃん(山中亮平)には、「人に話したくなるストーリー」がある。若くして才能を開花。予期せぬ挫折。恩人の死去。そして、初のワールドカップ。「サクセスストーリー」としては完璧である。どうしても、彼の「過去」に注目したくなってしまう人びとのきもちは、よくわかる。
けれど、だ。もういいんじゃないか。8年も前の謹慎処分の話を引っぱりだすのは。やまちゃんは、素直でいい奴だから、どんな記者の質問にも、いつも真摯に答える。たとえそれが自分自身の記憶もおぼつかないほど振り返りたくない過去の話でも。そして、たしかに平尾誠二さんへの感謝は決して尽きないだろう。けれど、平尾さんが亡くなったからワールドカップに出たいと思ったのではなく、ラグビー選手としてワールドカップに出ることがずっと夢であり、前回大会の落選からこの4年間、その夢のためにがんばってきたのだ。
やまちゃんのこの4年間をカンタンに振り返ってみようじゃないか。
ワールドカップの翌年、2016年は「サンウルブズ」のメンバーに選ばれた。2017年はサンウルブズでも9試合くらい出場した。シーズン前には「トップリーグ選抜」としてサンウルブズと闘った。そのあと、怪我人が出てハリケーンズ戦から追加招集、けれどその年に日本代表メンバーには入らなかった。ついに2018年は、サンウルブズにも呼ばれなくなった。所属する神戸製鋼コベルコスティーラーズでアピールするしかなかった。そして、実際に活躍した。たまたま日本代表の同じポジションにけが人が出て、またまた追加招集。10月末の世界選抜戦と11月頭のニュージーランド戦に出場することができたものの、そのあとイングランド、ロシアという相手との試合ではメンバーから外れた。ワールドカップまでもう1年を切ったタイミングで。
ぼくらのような一般人ならば、ふつう、あきらめてもおかしくない。けれど、「まだチャンスがあるかもしれない」という希望が、いつも彼の目の前から消えない。 どんなつらい状況でも、この「希望」というものを、彼はいつも心に宿らせていた。
* * *
「この4年間でいちばん悩んだときは?」
そう尋ねると、「2018年の春」と答えてくれた。ワイルドそうに見せて、実はマメなところがあるやまちゃんは、常日頃から気づいたことや学んだことをメモに書き留めている。2018年の春、彼は「来年のワールドカップのメンバーに選ばれるための逆算」をしたという(ちなみに、大学時代、ダーツをやっていて「2」のダブルに矢が刺さったときに「アカン、9やぁ」と漏らしていたくらい計算は苦手な男だ)。
2019年8月、日本代表に選ばれる
2019年6月、日本代表合宿に呼ばれる
2019年、サンウルブズで活躍する
2018年12月、日本選手権で優勝する
2018年シーズン、神戸製鋼で活躍する
つまり、逆算したときの最初のステップである「神戸製鋼で活躍する」ために、どうすればいいのかを悩んでいたのだという。なぜならば、チーム内でも世界トップレベルの選手が集まるなかで、まずは試合に出なければならない。そのためには、本来は10番(スタンドオフ)だけれど、12番(センター)のポジションを選んでプレーしたほうが試合に出られる可能性があるのではないか、と考えていたらしい。
ところが、ある日。4月に入部してきたばかりの同じポジションの新人選手に「お前はどのポジションをやるの?」と訊いたところ、迷わず「10番ですよ、だってボールいっぱい触れて、たのしいじゃないですか!」と返されたのだ。そこで、やまちゃんは思った。「そうか、ラグビーをたのしむ、そのきもちのない自分がいいプレーをできるわけがない。『どこにいるか、ではなく、なにをやるか』が大事だよな」と。
そこからやまちゃんは、どこのポジションだろうとも、チームが勝つために与えられたポジションを全力でやる、というスタンスに変わった。結果的には、これまでずっと活躍してきた10番ではなく15番で試合に出つづけて、日本代表にも15番として選ばれた。
* * *
「あきらめなかったから、ちゃう?」
あきらめない。ことばにするのはカンタンだ。けれど、やまちゃんのこの4年間には、そうとうな覚悟があったのだと思う。あるとき、やまちゃんからこんなメッセージがきた。
「ワールドカップは、4年に一回しかないすべてのラグビー選手の夢の舞台だからね!‥‥ん、なんで4年なんでしょう。え、そういえば、なんで『4年』に一度なん?笑」
なんだか哲学的な話になりそうでめんどくさかったから、
「ちがうよ、一生に一度だよ」
と返したら、「そやけども。笑」ときた。「4年に一度じゃない。一生に一度だ。」というコピーを書いた当時は、あくまでも「チケットを売るためのことば」として一般消費者向けに書いたけれど、このことばは、ファンだけでなく選手にも言えることばなんだなぁ、と気づいた。やまちゃんは、早咲きでも遅咲きでもない。夢を追いかけて誇りをもって生きている人は、ずっと咲きつづけているんだよなぁ。
* * *
さいごに。いつのことだったか、3人でこんな会話をした。
「おれは、裏方として。ふたりは、選手として。ラグビーワールドカップ2019で会おうな」
ぼくの話で恐縮だけれど、ぼくの大学時代は、やまちゃんのようなスター選手の陰にいた平凡な選手で、卒業後もだれも知らないような会社に入って、けれど、不完全燃焼だった学生時代を取り戻すようにひたすら仕事とラグビーに打ち込む20代を過ごした。そしてついに、まわりの人のおかげで(お世辞ではなく何者でもないぼくにチャンスをくれて成長させてくれた人たちのおかげで)、ラグビーワールドカップ2019の仕事にたどり着くことができた。まさに、「どこにいるか」(大学や企業)でなく、「なにをやるか」(仕事の中身や姿勢)だった。大会公式キャッチコピー。ボランティアプログラム「TEAM NO-SIDE」。ラグビーまつりプロジェクト2019。ONE TEAM 決起会‥‥けっこう、いろいろやった。ぼくは、裏方として、ラグビーワールドカップに手が届いた。あとは、君たちふたりが選手として日本代表の桜のジャージを着るだけだな、と勝手に話した憶えがある。
やまちゃん。ついにその日がきたな。メンバー入りしたから、急きょ、スタジアムまで行くことにしました。ワールドカップの舞台でおなじ空間にいられて、うれしいよ。
そして、シュン(布巻)。最後の最後でメンバーから外れてしまったけれど、自分自身と何度も向き合ってうまくいかず悩んでいたときでも、まわりの人のために貢献しつづけていた君を尊敬しています。君は、まだまだ大きくなれると信じてます。
(おわり)
山中亮平という人について。
「もしもし?ほんま最高!」
18年ぶりの日本一奪還を成し遂げた試合直後、神戸製鋼の真紅のジャージの15番を背負っていた男から、電話がかかってきた。
「ほんとうに、やったな!おめでとう!」と返したら、次に、彼はこう言った。
「ほんまええチームやろ?」
「おれのトライ見たか!」でも、「ほんま強いやろ?」でもない。「ほんまええチームやろ?」。
山中亮平(以下、やまちゃん)のこのことばに、2018年シーズンの神戸製鋼コベルコスティーラーズの強さの秘密がすべて表れていると思う。すべての選手たちが、自分たちのチームを心から誇り、「このチームのために尽くしたい」そして「たくさんの人たちによろこんでもらいたい」と思っていたのだろう。
やまちゃんは、仲間想いの奴なのだ。
* * *
もちろんすべてを見てきたわけじゃないのだけれど、やまちゃんにとって、この8年間のラグビー人生は、苦悩の連続だったと思う。今年の5月にも、「眠れない」と夜中に電話がかかってきたことがあった。
なんとしても2019年に日本で開催されるラグビーワールドカップには出たい。ところが、当時発表された日本代表のメンバーには選ばれず、なんとかあと1年で代表に選ばれるためには、自分のチーム(神戸製鋼)で自分がやりたいわけではないポジション(12番)をやったほうが確率が高いと考えて、自分の好きなポジション(10番)はあきらめようと思っていたらしい。
が、しかし。その日、なにげなく新加入してきた22歳の同じポジション(10番)のチームメイトに「おまえ、今シーズン、どのポジションやりたいの?」と聞いたら「10番です。だって、10番がいちばんボールに触れてたのしいじゃないですか」と無邪気に答えたのだという。
それを聞いて、自分は日本代表に選ばれなきゃと焦るばかりで、そんなラグビーを純粋にたのしむきもちや、まずは自分の所属しているチームのために貢献することを忘れていたんじゃないか、と思い直したのだそうだ。いろいろと話してから、やまちゃんはこう言った。
「いま、チームに求められているポジションで頑張っていれば、どのポジションでも使いたいと思ってもらえるかもしれないな。どこでやってるかよりも、なにをやってるか、だな。がんばるわ」(実際は関西弁)、と。
まわりのせいにしない。自分にできることを全力でやる。カッコイイなぁと想いながら、なんだか、ぼくが勇気をもらって電話を切った。
やまちゃんは、実は繊細な奴なのだ。
* * *
今でも、やまちゃんという人間に初めて触れたときのことをよく覚えている。大学に入学したばかりで、早稲田大学の上井草グラウンドで新人練習をしていたとき。彼は同級生にロングパスをして、相手がパスを取れなかった。すると、やまちゃんは強い口調でこう言い放った。
「取れや!!」
やまちゃんは、もともと「関西のヤンキー」なのだ。
* * *
そんなやまちゃんが、おそらく、これまでの人生でもっとも暗闇に入り込んでしまったのは、社会人1年目の「2年間の資格停止処分」と「神戸製鋼ラグビー部の退部」だっただろう。
たしか、その出来事のあと、いちばんはじめに連絡をくれたのは、「ゴロー、本を読みたい。なにかオススメない?」と「Macbookを買うならどのモデルがいい?あとネット環境を部屋に置きたい」だったと思う。ぼくは、武術家・甲野善紀さんの本をすすめた。身体というものに向き合ってみたり、物事をちがう角度から見てみる学びになると思ったから。それからしばらくして、やまちゃんから連絡がきた。「甲野先生に会ったよ!」と著者といっしょにうつっている写真が送られてきた。
やまちゃんは、とっても素直な奴なのだ。
* * *
ときは今にもどる。日本選手権の決勝がある週の月曜日。やまちゃんと、神戸・三宮のスタバで会った(新神戸駅までクルマで迎えにきてくれてホテルまで送ってくれた。やまちゃんは、やさしい奴なのだ)。
試合後のニュースでもたくさん報じられていたけれど、やまちゃんは、試合の2週間前に 201cm 115kg という数字のスペックだけみたら「HOSHIZAKIの業務用冷蔵庫じゃないの?」と思うような大男に、思い切り顔面を頭突きされて、2カ所ほど骨が折れていた。メシも食えず、顔の半分は麻痺していたそうだ。
けれど、やまちゃんは言った。「たとえ木曜にメンバーに選ばれなくてもいい。それは監督やコーチが決めること。おれは、のこりの時間、やれるやれないじゃなくて、やるんだ」(実際は関西弁)と。
なんでも、実はチームメイトのあるニュージーランドの選手も複数の部位を骨折していて、まともに日常生活すら送れない状態だったのだけれど、その選手に「今週の練習はやるの?」と訊いたら、「ファイナルだぞ?できるか、できないか、じゃない。やる、だけだ」と返ってきたのだという。そんな仲間の想いに感化されて、やまちゃんも練習への参加を決意したそうだ。
そのスタバでは、こんなエピソードも教えてくれた。骨折をしてしまった翌週、つまり、決勝のまえの週、やまちゃんは、今シーズンで初めてスタンドの観客席からチームメイトの試合を観た。そこの雰囲気が、去年までとはまったくちがったという。とにかく「試合に出られないみんながこのチームを応援している」と心から感じたそうだ。なんだ、そりゃ、仲間を応援するのはふうつうじゃないか、と思われる人もいるかもしれないけれど、これまでは、「同じポジションの人がミスしないかな」と思う人がたくさんいたという。最後にやまちゃんは言った。「このチームなら、負ける気がせえへんわ」。
やまちゃんは、人の痛みがわかる奴なのだ。
* * *
そういえば、今年の4月にもこんな会話をした。
「3週間前にチームにやってきたウェイン・スミス新監督、すげえわ」
「どのへんが?」
「日本人はシャイだから自分の意見を言わない。だから、ミーティングではひとりひとりに赤色と緑色のカードが全員に配られて、もしわからないことがあったら、赤色のカードを挙げて、内容を理解していたら緑のカードを挙げるっていうルールがある。で、赤色のカードを挙げた人(わからない人)に、緑色の人(わかる人)がチームメイト同士で教える、っていうルールなんだけど、選手たちが自分たちでディスカッションする習慣ができるようになった」
「ほっほー。ほかには?」
「とにかく高校生みたいなパスの練習ばっかり。4列パスをひたすらやる。でも、トイメンの正面に立ったら練習を止めて『どうして正面に立つ?相手のスペースの前に立って、敵のディフェンスを動かさないと』とか、『パスしたらフォロー!パスしたらフォロー!』とか、『敵のディフェンスの内側のスペースに走りこむ、そうすると敵は内に寄ろうと動く、そうすれば外のスペースが空く』とか、基本中の基本をとにかく徹底している」
‥‥そんなやまちゃんの話をひととおり聞いて、60歳あたりの成熟した優秀なヘッドコーチたちは、相手が高校生だろうがトップリーガーだろうがニュージーランド代表だろうが、「あたりまえのことをあたりまえにやること」と「選手たちの頭で考えさせること」と「コミュニケーション量を増やすこと」を教えているんだなぁ、と実感した。
名将といわれる人は、ラグビーの技術や知識を教えるのが上手いのはもちろんなのだけれど、「人のこころをどう動かすか」がズバ抜けてるように思った。その手段が、観察する目だったり、部内のルールづくりだったり、戦術だったり。コーチングやチームマネジメントの話を聞いて、それだけで「こりゃ、まちがいなく強くなるな、神戸製鋼」とやまちゃんに伝えたことを覚えている。「まちがいないわ」とやまちゃんは言った。
やまちゃんは、人を信じられる奴なのだ。
* * *
2018年12月15日。秩父宮ラグビー場は、空の向こうまで見えるほどきれいな青空だった。後半30分(のこり時間10分)。48-5で神戸製鋼はリードしていた。ここから、メンバーの半分が大学生になっても、ひっくり返されることはないほどの点差といえるだろう。
自陣10m付近で、神戸製鋼はペナルティーをしてしまい、サントリーにボールを与えた。サントリーの司令塔、マット・ギタウは、タッチキックを選択するように見えた。点差も離れている。神戸製鋼の選手達は、ゆっくりと10m下がっていた。
「前見ろ!」
チームの最後尾から、そう叫ぶ男がいた。グラウンドの遠くから見ているぼくにも聞こえるほどの声の大きさで。ほかでもない、やまちゃんの声だった。
10年以上まえに、チームメイトに言い放った「取れや!」。おなじ命令形でも、あのときとは、まったくちがう。長年のさまざまな想いが、あと10分で実ろうとしている。だからこそ、最後の1秒まで気を緩めず、チームの仲間を鼓舞し、80分間グラウンドに立ち続けようという強い意志をぼくは感じた。
やまちゃんだって、後半20分、自陣のゴール直前で骨折していた顔面すれすれのタックルでピンチを救ったときに足をつっていた。ずっと伸ばしていた。この試合、トップスピードで走り抜ける回数がいつもより多かったように思う。当然、足にも疲労はきていただろう。
試合のこり10分間、ぼくはそんなやまちゃんの闘う姿を見ていて、涙があふれてきた。あふれつづけていた。「おれよ、いまやらないで、いつやるんだ」。そんな想いが全身から発されていた。
試合終了後の円陣で、やまちゃんは人目もはばからず泣いていた。あんなに泣いているのは、初めて見たかもしれない。ただ、敵を倒して日本一になったよろこびじゃないのだと思う。「ありがとう」という想いがこみ上げてきたんじゃないか。これまで自分を支えてくれた人たちに。悩みに悩みつづけた自分自身に。そして、心から信頼し合あえるすばらしいチームの仲間たちとよろこびを共有できているその瞬間に。
神戸製鋼は、「原点」に還った。神戸製鋼にしかない資産や文化を、掘り起こしてきて、自分たちの「誇り」はなんであるのか。「なんのために神戸製鋼でラグビーをやるのか?」を突き詰めた。
やまちゃんは、生粋の「神戸人」なのだ。
* * *
大学4年の大学選手権の決勝の前夜。「俺は同じポジションだし、これまでロクに試合にも出られていないが、お前を応援している」とメールしたら、「俺はゴローがだれよりもラグビーを好きなのを知っている」と返事がきたのを、ぼくは今でも覚えている。 4年間が肯定されたようでうれしかった。
原宿の街を歩いているときに変なあやしい絵を売っている人につかまってしばらく話を聞いてあげて、しかも買ってあげようとしてしまうくらい、やまちゃんは隣人にさえ愛のある奴なのだ。今夜も、段ボールいっぱいにいろんなものが詰まったギフトがやまちゃんサンタから自宅に届いた。いつも、ありがとう。
やまちゃんは、いい奴なのだ。
いちばん伝えたかったのは、このひとことである。
(たしかに、よしたに。)
サンドウィッチマンという人たちについて。
「関西弁じゃない漫才」として、当時、大学生だったぼくはえらく興奮していたことを覚えている。無愛想な男が徹底的にすっとぼけて、金髪のもう片方がずっとキレていた。
忘れもしない2007年のM-1決勝。敗者復活戦から這い上がってきた、すこし太っちょの2人組。
「目のとこに材木‥‥」「モザイクね!」
「らっというまに終わりますんで」「けっこうかかりそうじゃねぇかよ!」
「このアンケート何で知りましたか?」「お前だよ!」
「カレーかホワイトシチューだよ」「ちょっとなに言ってるかわかんないです」
準決勝のあと、審査員の島田紳助さんの「もう1本あったら優勝やけど、絶対ないと思うわ!」に見たことのない太っちょの男ふたりは「ほんっとにないんです」。司会の今田耕司さんの「あるやんー!!」に「もうネタないんです」。会場もあったまっていた。
決勝のネタは、「ピザの出前」だった(ネタはあった)。
「すいません、ちょっと迷っちゃって」
「迷うって、道一本だろうがよ」
「いや、行くかどうかで迷っちゃって」
「はい、じゃあ500円な」
「20円のおつりです」
「500円じゃねえのかよ!」
‥‥天才かよ、と思った。
優勝が決まった瞬間、その太っちょ2人組はずっと抱き合っていたのも印象的だった。テレビの世界ではご法度とされる、カメラにおしりを向けながら。ずっと苦労してきたんだろう。
そのあと、大学ラグビー部が年に一度やっているファンとのお祭りの出し物で漫才をやったときに、ぼくは「サンドウィッチマン スタイル」の漫才をやった(テーマは「ラグビー」)。日本語のおもしろさに興味を持っていた頃だから、真似してネタをつくるのも面白かった。
そんな昔から憧れていたサンドウィッチマンさんのラジオに、ゲストとして呼んでいただき、おふたりとたくさんお話できて、富澤さんご本人に、会話の流れの中でホンモノの「ちょっとなに言ってるかわかんないです」も言ってもらえた(思わず「ありがとうございます‥‥!」と言ってしまった)。
知っている人にはあんまり聴いてほしくないのがホンネです(恥ずかしいので‥‥)。が、ラグビーの魅力についてサンドウィッチマンさんとたくさん話してきたので、ちょっとでもラグビーの面白さが世の中に伝わるといいなぁと思います。感想のメールも送ってもらえると、少ない人数でもラグビーを愛してくださっている優秀なスタッフのみなさんも、きっとよろこんでくれると思いますので、ぜひよろしくお願いしますー!
→ rugby@tbs.co.jp
TBSラジオ『サンドウィッチマンのWe Love Rugby』
11.6 火~11.9 金 17:50-18:00(1週間のゲストです)
https://www.tbsradio.jp/rugby/
それはそうと、サンドウィッチマンさんのボケとツッコミを目の前でずっと見られたなんて、なんて特等席だったんだろうか‥‥。
(たしかに、よしたに。)
ダン・カーターという人について。
日本のすべての「スタンドオフ」というポジションを選んでいるラグビーキッズたちは、「こ、‥‥これがスタンドオフか‥‥!」と、驚きとともに、よろこびとともに、悲しみも感じていたにちがいない。
世界中の誰もが認めるワールドクラスNo.1のスタンドオフ、「DC」ことダン・カーターの日本での初めてのプレーをナマで観て、「なぜ彼がこれほどいいプレーヤーと言えるのか?」を自分なりに考えたのです。
とくに、中高生のみなさんが「これができるようになれば、いいスタンドオフと言えるのかもしれない!」と、日々の練習で意識できるようなことを書きたいと思います。
名付けて、「DCに学ぶ スタンドオフ7つの流儀」です。
①「タックル成功率→100%(たぶん)」
DC自身が「まずは尊敬、信頼されるプレーヤーでなければなりません」とあちこちで話しているとおり、チームメイトから信頼される選手でなければ、スタンドオフというチームの司令塔のポジションは任せてもらえないのだと思います。そのDCは、開幕から2試合観ていて、すべてのタックルできちんと相手を倒して、ボールをつながせていません。直前にスッと低くなり膝の位置にズバッと入るタックル、デカイ相手が正面からきたときは相手の勢いを利用して引き倒すタックル、とうまく使い分けています。
なんなら彼は、ブレイクダウンで相手にプレッシャーをかけているシーンもよく見られます。冷静な頭でゲームをコントロールしなければならないポジションですが、カラダを張ることを決して厭わず、ハードワークしているんですよね。ニュージーランド代表「オールブラックス」のヘッドコーチ、スティーブ・ハンセンも、「ダン・カーターはこれまでのスタンドオフの在り方を変えた。とくに、ディフェンスの面において」とどこかで話していました。
サントリー戦で、ラスト5分でサントリー・梶村にトライを取られそうになったときに、チームの最後尾まで戻って追いかけてタックルをしたシーン。あの瞬間、すべてのチームメイトが「コイツの言うことならなんでも聞こう」と思ったはずです。
②「キックの速さ・低さ・精度」
DCのエリア獲得のキックは、すべてダイレクトキャッチ(いわゆるノーバン)させていません。フィールドの中央の奥のほうに思いきり蹴ったときはダイレクトキャッチさせていましたが、コーナーに蹴るキックはすべてワンバウンド以上させています。
ボールがワンバウンドしているあいだに、敵は平均5-10mはDFラインを上げられるので、「ダイレクトキャッチさせないこと」はとても大事です。このキックを蹴るためにはまず、弾道が「低く」なければなりません。つまり、同じ到達地点にボールが落ちるときに、滞空時間が短ければ短いほど、相手はダイレクトキャッチするのがむずかしくなります。
ひとむかし前は、「スクリューキック」と言ってボールに回転をかけるキックが主流でした。たしかに飛距離は出るのですが、弾道が高くなること、コントロールが効きにくいことから、今ではDCのようなストレートキックが主流ですね。
彼のキックは、いわゆる足の軌道が「J」ではなく「C」のタイプですが、カラダを強くひねるパワーが尋常ではないです。軌道を低くするために、カラダの上体をかなり前傾させています。そうとう体幹を鍛えているんじゃないでしょうか。
また、キックの精確さという点では、ペナルティー・脱出キックともにタッチキックは、すべて約40m以上ゲインしていました。トヨタ戦で自陣22m内から右に出したキックが敵陣10mに出たとき、タッチジャッジに「もっと奥でしょ」とアピールしてたので、それくらい何度も練習をしてきていて、どこの位置から蹴ったら、どこまで飛距離が出るのかということを、じぶんで理解しているのだと思います。
③「トイメンが一列なら勝負する」
これは、たまたまもしれません。が、彼がフェーズ中にじぶんで仕掛けた(パスせずボールを持ってランした)ときは、すべて「トイメンが一列」でした(プロップかフッカー)。これは、そうですね、常にじぶんの目の前はモチロン、首をふりつづけて周囲をウォッチしているということだと思います。
あと、これは神戸製鋼のチームメイトである山中亮平に教えてもらったことなのですが、「試合中、プレッシャーや余裕がなくなってきて視野が狭くなってしまうとき、DCはピッチの左右のライトをみて視野を大きく広げるんだって」とのこと。なるほど、日常生活でもパソコンやスマホばっかり見ていたらダメだなぁ‥‥。
④「キャッチ・パスのミス回数、ゼロ」
あたりまえなようで、あたりまえじゃないのが、このハンドリングの基礎の徹底だと思います。サントリー戦では雨も降っていましたが、一度もハンドリングエラーはありませんでした。おそらく、キャッチやパスをするスキルが高いのはもちろんですが、ミスをしないために「パスをもらう相手」や「パスをする相手」とのコミュニケーションがきちんとされているのだと思います。意思疎通ができているから、ミスも減る。そして、こういう小さなところでミスしないからこそ、「チームから信頼されるプレーヤー」になっているのだと思います。
⑤「ゲームマネジメント」
以前、ぼくの中で「ゲームメイクといえばこの人」ということで、サントリーの小野晃征さんに、「ゲームマネジメントはどう考えているのか」と話を聞いたことがあった。そのとき話してくれたことは、だいたい以下のようなことだった。
~ゲームプランについての基本的な考え方~
1.相手のやりたいことを1つずつつぶす(一度に全部はできない)
2.相手の弱みをどう生かすか
(例)vs.南アフリア
1.セットプレーが強みの相手。スクラム減らす、セットピースを減らすためにボールインプレーを減らす、フリーキックはクイックで行く。
2.プレーが高いから低さで勝負する
~テンポについての基本的な考え方~
ラグビーはプレッシャーのやりとりである。
<プレッシャーとは?>
天候影響、レフリー、タイムプレッシャー、エリアプレッシャー、点差プレッシャー、セットピースプレッシャー。
<プレッシャーを与えているのか。受けているのかを考える>
与えているときは、テンポを上げる。どんどんチャレンジする。相手のイヤなところをやる。
受けているときは、テンポを落とす。確実なプレーに変える。一歩深くする。早めにパスする。選手に休ませる時間をとる。
<プレッシャーのやりとりをどう見るか?>
選手ひとりひとりが持っているスキルセットのなかからプレーしているか。考えてしまっていないか。(やりたいこと、できることの枠のなかでのプレーをしているか)その選手がやらないプレーをはじめたら、それは「考えはじめてしまっている」証拠。それは、プレッシャーを受けている証拠。
‥‥と、こんな内容でした。つまり、スタンドオフ、ゲームメーカーは、常に周りを観察して、自チームのこと敵チームのことを理解しなければならない。そして、そのピッチ上の状況を「判断」して「伝達」して、「実行」しなければならない。そうとうな労力であると思う。
たとえば、サントリー戦のDCのキックオフの蹴る位置は、「同じところに蹴るのを2回続けてやらない」ようにしていた。敵ボールのキックオフキャッチ後のオプションも、ロングキック、ハイパント、大外への展開、攻めてからタッチキック‥‥など、常に相手の陣形を見て、どこにスペースがあるのかでオプションを変えていた。もちろん、DCだけではなく、周りのプレーヤーたちからの情報伝達があってこそ、だと思います。
⑥「コミュニケーションの力」
これは実際に試合を観てDCを観察していたら、すぐに分かることです。常に周りを見たわして、常に誰かと会話をしています。それはオフェンスのときだけではなく、ディフェンスのときも。じぶんが今、だれをノミネート(マーク)しているのかをとなりのプレーヤーに「伝える」、となりのプレーヤーがどの相手をノミネートしているのかを「聴く」、こういった、ラグビーという「となりの仲間と距離が近くて、常に目の前に同じ光景のないスポーツ」だからこそ、いい判断をするためにコミュニケーション力(聴く力、伝える力)があるかどうかは、とても大切なのだと思います。
⑦「謙虚さを忘れない人間性」
これは、直接会ってしゃべったことはないので、なんとも言えませんが、このJスポーツのインタビューを見れば、いかに彼がすばらしい人格を持っているか、わかるのではないでしょうか。
すばらしい成績を残したアスリートでも、次の年、さらにその次の年まで活躍しつづけることは、なかなかむずかしいことだと思います。
それは、メディアに注目されたり、政治家が寄ってきたり、お金に目がくらんでしまったり‥‥いろいろな外的要因を受けて、さいごはじぶん自身に負けてしまうアスリートは多いのではないでしょうか。その点、DCのこのインタビューを見て、「あぁ、すばらしい仲間や家族、そして謙虚さをもってるんだなぁ」と思いました。
以前、RIZAPグループの創業者である瀬戸健さんに初めてお会いしたとき、あまりに腰が低く、誰にも笑顔でフラットに接する方なので、正直に、「どうしてそんなに謙虚なんですか‥‥?」と訊いたら、「ホンネを言えば、欲があるからだと思います(笑)。まだまだ上を見て成長したい。そのためには、人から学ばなきゃいけません。人から学ぶためには謙虚でなきゃいけまけん」と話していました。つまり、現状に常に満足することなく、「もっと高みへ」という姿勢が、人を謙虚にするのだということでした。
世界一のスタンドオフ・DCは、「さらに世界一のスタンダードを上げたい」と、いつもじぶん自身と闘っているのかもしれませんね。
‥‥あぁ、カッコいい~!
(たしかに、よしたに)
「キックオフ!釜石 8.19」のこと。
ラグビーワールドカップ2019™における国内12会場で唯一の東北開催地である岩手県・釜石市。ちいさな三陸沿岸のこの町は、2011年3月11日東日本大震災で大きな被害を受けました。それでも、このまちに希望をつくるために開催候補地に名乗りを上げて、スタジアム建設を決めたのです。地元をはじめ全国から応援してくださる人びとがひとつになり、8月19日、ついに「釜石鵜住居復興スタジアム」が完成しました。
そのオープニングイベントである「KICKOFF!KAMAISHI 8.19」、ほんっ‥‥とうに、よかった。
とくに、こどもたちが歌ったり、踊ったり、スピーチしたりする姿をじっと見ながら、涙がこみ上げてきて仕方がなかった。「想い」が伝わってくというのでしょうか、こどもたちのピュアさやポジティブさに、胸を打たれたのだと思います。
「ワールドカップのあとの維持費をどーするんだっ!」と、悲観的にも、厭世的にもならずに、こどもたちはできることを一生懸命やってきたのでしょう。その歌声、その全身の表現、その言葉から、釜石というまちを盛り上げるために、世界中の人を受け入れるために がんばるんだ、という意志のようなものを感じました。希望のほうを見つめているその姿勢に、心を動かされたのだろうと思います。
あと、あのスタジアムの雰囲気は、きっと一生わすれられないだろうなぁ。人は、みんなちがう。だからこそ、誰かときもちが通じ合ったり、わかり合えたりするとうれしいものですが、あの日、あのスタジアムにいた人たちはみんな、おなじ思いで、ひとつになっていたように思うのです。その場をみんなが信じきっていた。人は多かったけれど、みんな心に余裕があったのでしょうね。
東京から釜石へ行くには、新幹線に3時間くらい乗って、そこから、さらによく鹿にぶつかって運転見合わせしてしまう釜石線に2時間ほど揺られて、やっとたどり着きます。8月19日のオープニングイベントは、人口3.5万人のまちに日本中からワァっと人がきていてホテルも足りていないので、みんな盛岡や新花巻あたりに泊まらなきゃいけません。ところが、それほど「不便」なところに、誰に頼まれたわけでもなく、自分からうれしそうにやって来た人たちなのだから、みんな「いい人」で「いい場」になったのでしょう、きっと。
* * * *
ぼくは、今年の3月11日に初めて釜石を訪れて、それから今回をふくめて4回ほどスタジアムに足を運ばせていただいているのですが、これまでは大きな工事がすでにおわったせいなのか、スタジアムはとても静かでした。そのスタジアムに、音があふれている。人があふれている。笑顔があふれている。それだけでもう、胸にこみ上げてくるものがありました‥‥。
あの日、いろんな人に会えたことも、うれしかった要因のひとつだと思います。漫画の最終回に、これまで登場したキャラクターが次々に出てくるみたいに、日本ラグビー協会、ラグビーワールドカップ組織委員会、釜石シーウェイブスとヤマハ発動機の選手やスタッフ、これまでラグビーを通じて出会った知人や友人‥‥「あぁ、あなたも釜石まで来ているのね!」という人たちに、あの場所でたくさん会えてうれしかった。
* * * *
さて、ここからは、写真で釜石との思い出を振り返っていきたいと思います。
▲2018年3月11日、はじめて釜石に行った日です。行くことが決まったのは前日でした。ここは「宝来館」というスタジアムから近いところにある「浜べの料理宿」です。
▲午後2時46分、サイレンの音とともに、みんなで祈りをこめた風船を空へ飛ばしました。
▲「宝来館」の女将の岩崎さんです。天使のような笑顔。カリスマ的なリーダーシップ。そんな女将さんから、釜石のことをたくさん教えていただきました。「このスタジアムは、原っぱなんです。緑がたくさんある、原っぱ。そして、これから1000年つづく、原っぱ。8月19日は、1000年の1日目なんですよ!」(女将さんのお話より)
▲はじめてスタジアムに行ったときです。この5ヶ月後には、あれだけ立派なものができているなんて。
▲初釜石の旅は、オーストラリア代表で元釜石シーウェイブスのスコット・ファーディーも一緒でした。おどろくほど紳士的でやわらかく、ワールドカップでニュージーランド代表と激闘していた人と思えないほどでした。
▲ファーディーと小佐野小学校の紺野校長のお話を聞きに行きました。「震災のあと、こどもたちに話したことは3つ。みんなの命は、守られた命であるということ。大きな地震がきたら、とにかく高台へ逃げること。そして、ファーディーのような人を助けられるような人になること」(紺野校長のお話より)
▲大学ラグビー部のセンパイであるスポーツジャーナリストの松瀬学さんも、ずっと一緒でした。帰りの釜石線が事故で停まってしまって、振替輸送のタクシーも北陸新幹線もずっと一緒。たくさんご馳走さまでした。
▲これは2018年5月15日です。この日は、イベントの記者会見でした。まだ、「キックオフ!釜石 8.19」という言葉だけで、ロゴマークも「リポビタンD 釜石鵜住居復興スタジアム オープニングDAY」という大会名称もなかったときですね。
▲こちらは5月28日、2回目の釜石です。この日は、ポスターやチラシ、ホームページで使う「ステートメント」を釜石市・野田市長にプレゼンをするためにやってきて、そのあとスタジアムを見学させていただきました。野田市長は、いつも「市民のみなさんはなんて思うかなぁ‥‥」と釜石市民のことを考えてらっしゃいました。
▲左の方は、今回の仕事のアートディレクターをお願いした窪田新さん。すばらしいロゴマークやデザインを生み出してくださった方です。初めて一緒に仕事をさせていただきましたが、ひとつひとつの仕事とていねいに向き合い、受け手の想いをとても大事にされる方で、窪田さんと釜石の仕事ができたことを誇りに思います。
右の方は、釜石市の長田剛さん。元ラガーマンです。いつもやさしくスタジアムを案内してくださったり、クルマで釜石駅まで送迎してくださったり、本当にお世話になりました。そして、なにより、ハートの熱い方です。長田さんに出会えたことも、うれしかったなぁ。
▲そして、3回目の釜石は8月1日。この笑顔のすてきな洞口留伊さんに会いに行ってきました。その数日前に、ワールドカップ組織委員会のGenさん(詳しくはのちほど)からこんなメッセージが。「釜石の高校生向けのプログラムに参加したときに、目をキラキラさせながら、『来年のワールドカップで私たち高校生にどんなことを期待していますか?』って質問をしてきた女の子がいて、この子なら釜石の明るい未来を表現できると直感的に思うのです」。ならば、彼女に試合直前の「キックオフ宣言」をやってもらおう、さらに、『岩手日報』の15段広告にメッセージ広告を出そう、となり‥‥それから1週間ほどのあいだで原稿づくり、撮影、デザイン、入稿などをみんなでやりとげました。釜石市の下村さん、浦城さんにたくさんお世話になりました。もちろん、この企画を実現させるために尽力してくださった方々がたくさんいます。この場を借りてあらためて、ありがとうございます。
▲スタジアムを実際に見て、感じたり思ったり考えたりする洞口さん。あ、右端には長田さんもいます。長田さんも「ルイちゃん、最高やな」と太鼓判を押していました。
さて、いよいよ、8月19日の当日です。
▲ロゴマークがあちこちに!スタジアムの雰囲気にとてもなじんでいました。(旗の写真の撮影:窪田新さん)
▲「ロゴマークの入った旗をつくって、そこに選手やゲストアーティストの方々、そして来場者のみなさんに想いを書いてもらおう」という企画も大正製薬さまのおかげで実現されました。
▲さぁ、いよいよ洞口さんの「キックオフ宣言」の直前です。これまで一緒にやってきたチームのみんなと笑顔で話してリラックスしていました。すごいなぁ。
▲ドキドキドキ‥‥(洞口さんではなく、ぼくの心臓の音)
▲堂々と立派な、そして想いのこもったスピーチは、たくさんの人の心に伝わったと思います。これからも夢に向かってがんばってね、留伊ちゃん!
ちなみに、これが『岩手日報』の15段広告です。
(アートディレクター:窪田新/撮影:川代大輔)*敬称略
おまけに、これが「ステートメント」を掲載したポスターとチラシです。
このステートメントに書かせていただいた「それでも、希望を建てるんだ。」という想いは、果たして多くの人に伝わったのでしょうか‥‥「このスタジアムは、みんなの歓声で、完成する。」と実感してくれた人はいたのでしょうか‥‥。その答えはわからないけれど、これだけはハッキリと言えます。
わたしは、釜石が好きだ。
わたしは、ラグビーが好きだ。
(留伊ちゃんの『キックオフ宣言』の動画全編です、ぜひごらんください!)
* * * *
あと、この今回の「KICKOFF!KAMAISHI 8.19」のことを書く上で、忘れちゃアいけないのが「福島弦」という男についてです。「漢」と書くか、すこし迷いました。が、クレバーなご本人がイヤがりそうなので、「男」にしておきます。そして、ここからはいつも通り、「Genさん」と書きます。
Genさんはラグビーワールドカップ組織員会の方で、今回の釜石のイベント興行をほとんど取り仕切っていました。ぼくは、彼がサンウルブズの立ち上げを担当していたときからのお付き合いで、ラグビーワールドカップ2019™の大会キャッチコピーの仕事、そして、今回の釜石の仕事もご一緒させていただきました。この前代未聞のビッグイベントに臨むGenさんを半年ほど見ていて、「うまくいく人は、応援されている人」であり、「応援される人って、Genさんみたいな人だよなぁ」と、つくづく思わされたのです。
どんな人が「応援される人」なのか。それはまず、ありきたりかもしれないけれど、「素直な人が応援される」のだと思います。Genさんは、どんな人の声にもちゃんと耳を傾けられるし、いいと思ったら「いい!」と言ってくれる(もちろん、ちがうという時もハッキリと「ちがう!」と言ってくれる)。
あと、「ゴキゲンな人が応援される」のだと思います。Genさんは、誰に対してもフラットで、会うとかならず握手をしてくれます。そういう気さくな姿勢でいる人のほうが、批判や愚痴に熱心な人よりも、応援したくなるものだと思います。いつも夜遅くまで仕事をしていて、朝早くに起きているのに、ゴキゲンだなんて、すごい人ですまったく。
最後は、「がんばってる人が応援される」のだと思います。「がんばってる」というのはこわいもので、一歩まちがえると「おれはこんなにやってるのに」と不満や愚痴になることもあります。けれど、Genさんが愚痴をこぼしているのを見たことがありません。それは、「当事者」であるから、と思うのです。いくら批判や文句を言っても、なにも前に進まないことをわかっていて、まずは自分が手を挙げる。そんな姿勢をいつもGenさんからは感じます。そして、なによりも「アツい人」だからなぁ、Genさん。夢に熱いし、情に厚い。
8月19日のあの日、Genさんに「ありがとう」を伝えたい人がたくさんいたと思います。もちろん、ぼくもそのひとりです。Genさんのおかげで、釜石というまちにたくさんの知り合いができて、たくさんの思い出ができました。そして、自分にとってメモリアルな仕事ができました。‥‥という感謝の想いをその晩にメールしたら、すぐに「さぁ、次はなにをしようか!」と返ってきて、「Genさん半端ないって。余韻に浸らずもう次の方向見てるもん。そんなんできひんやん普通」と思いました。
それはそうと、Genさんは、もはや「釜石の人」になっていた(北海道生まれなのに)。ぼくを釜石に呼ぶときは「来る?」と言うし(東京・高輪台に住んでいるのに)、「ちょっと明日行ってくるわ」と、まるで恵比寿ガーデンプレイスに行く感覚で釜石に通っていました。
* * * *
*追記なのですが、そのGenさんがこの記事を読んで、こんな感想を書いてシェアしてくれました。ぼくにとっても、この仕事はたくさんのことを気づかせてくれて、学ばせてくれて、おなじ想いをもつ仲間たちといっしょに仕事ができた夢のような仕事でした(そして、たくさんの人たちによろこんでもらえた仕事でした)。こちらこそ、心からの感謝を込めて。
(たしかに、よしたに)
こうありたいと思う人について。
「湘南ベルマーレ」の事務所は、平塚駅というところから歩いて25分ほどかかるので、タクシーを利用することが多いのです、が。
きのうも、その事務所で湘南ベルマーレの社長・水谷さんと「ベルマーレの顔」ともいえる遠藤さちえさんと、あれこれを決めるためのミーティングを1時間半ほどして、「じゃあ、そろそろ帰りますね」と事務所の入り口のところでタクシーを待つことになりました。
いつも、ベルマーレのみなさんは事務所の入り口のところまで見送りしてくださるのですが、なんでも、きのうは雨が降っていたので、配車に10分ほどかかるとのことでした。ぼくは、「いいですよ、雨も降ってるんで、どうぞ戻ってください」と言いました。が、「大丈夫、大丈夫。事務所のまえに変なヤツがいるぞって社員が通報しないように、いっしょにいるよ」と水谷さんがおっしゃるので、10分ほどおしゃべりしながらタクシーを待ちました。
タクシーがやっと来て、「じゃあ、また」とぼくは乗り込み、タクシーは発車する。ぼくは、雨粒のたくさんついた窓越しに車内で会釈をしていたのですが、水谷さん、ずーーっと見えなくなるまで、こちらを見ながらそこに立っているんです。すこしくらいは、雨がかかっているはずです。むかし、おじいちゃんとおばあちゃんちに行った帰りも、ずっとおばあちゃんが手を振っていたことをふと思い出しました。
ぼくみたいな、ひとまわり、いやふたまわりくらい年齢の離れた若者に対しても、そういうことができるオトナの姿を見て、「じぶんもこういう人でありたいなぁ」と心底思いました。まったく偉ぶらない。くだらないジョークばかり言ってユーモアたっぷり。けれど、いつも人のために率先してドブに飛び込んでいく熱い心を持っているのが、水谷さん。あぁ、こうして書いていても、カッコイイなぁ。
きのう、水谷さんはこんな話もしてくれた。「ヨシタニさんね、ぼく、『志』と『夢』のちがいっていうのをなにかを見て考えたんですよ。志はね、その人が死んでもなくならないもの。ずっと世の中にのこる使命感の想いです。で、夢っていうのは、たのしさとかうれしさを、みんなで追い求めていくもの。どっちがいいとか悪いとかじゃないと思うけれど、ベルマーレは、やっぱり『夢』のほうだなぁと思いますね」と。
(たしかに、よしたに。)
たった1文字に敏感な人について。
老眼鏡をかけているくらいの年齢の人ならば、たいていの人が知っているようなラグビー界のスターがかつて存在していて、平尾誠二というお方なのですが、人から聞いたり本を読んだりしてこの人のことを知れば知るほど、男も女も惚れる人だったのだろうとわかる。
いつもオープンでありながら、迎合することを嫌い、「あ」と思ったらすぐに立ち上がり、そして、情熱をもっていた人なのだと思う。さらにいえば、ラグビーから学んだことをラグビーだけにとじこめておかず、あらゆるスポーツや社会とつなげて考えられていたんじゃないか、とぼくは思う。
ヘタクソなりに人を育てたり、チームをつくったりしている身として、あらためて最近、羽生善治さんや山中伸弥先生などあらゆる分野のトップの人たちから尊敬される平尾さんの本を読んでいるのだけれど、やっぱり、「あぁ、こうでありたい」と思うところがたくさんあるのです。
なかでも、「あぁ‥‥!」と思ったのが、
ひとりはみんなのために。
みんなはひとつのために。
という一文。
世の中のあちこちに「one for all all for one」という言葉の翻訳文はあふれているけれども、まさか、さいごのoneを「ひとり」じゃなくて「ひとつ」と訳しているとは。たしかに、そのほうが、より強いチームをつくるうえでも、教育的にも必要なことかもしれない。
「ひとり」のために「みんな」が助けてあげているような組織は、「ひとり」の力が最大限に発揮されていないので弱く、「ひとつ」の目的や大義に向かって「みんな」が向かっていく組織こそが強いんだよ、と、たった1文字のちがいで伝えているように思うのです。
平尾さんは、著書のなかでもたびたび「言葉の大切さ」を説かれてますが、やっぱり、ものすごく言葉にこだわってたのだろう。いや、もっといえば、コミュニケーションにこだわっていたようにみえる。
ピッチャーがマウンドに立っているときのように、とにかくバッターをよく観察して、相手のことをできるだけ理解して、どんな球(言葉)をどんな速度(話しかた)で投げればいいのかを考えていたのだと思う(ん、それは、キャッチャーの役割‥‥?)。
いわゆる「コミュニケーション力の高い人」っていうのは、受け手と送り手を往復している人。平尾さんの言葉を読んでいると、そんなことを思います。
(たしかに、よしたに。)
「愛し合ってるかい?」と歌う人について。
・たとえば、学生ではあるけれどプロ棋士の藤井四段は、1日のどれくらいの時間を将棋につかっているのだろう。それを「働きすぎ」と止められる人はいるだろうか。
仕事と死生観がつながる時代になっている。今こそ赤塚不二夫さんの「これでいいのだ」の思想が必要になっているんじゃないか。はじめに「死生」があり、その上に「人生」があり、その上に「家族」があり、その上に「仕事」がある。「仕事」は、決して最上位の概念じゃない。
・小林麻央さんの死から、ずっと命について考えている。じぶんの命は、じぶんだけのものじゃないということ。亡くなっていったご先祖さまたちがつないでくれた命のバトンを受けて、いまここに生きているということ。歴史上に、じふんは、じぶんひとりしかいないということ。なんのために、じぶんの命を使うのかということ。じぶんの命は、じぶんだけのものじゃないということ。
・はじまりからおわるのではなく、おわりから、はじまる。死ぬために生きるのではなく、生きるために死ぬ。逆説的だけれど、これこそが、本質的なのかもしれない。
死ぬときにのこるのは、どれだけ偉かったとか、どれだけお金をたくさん持っていたとか、そんなことじゃなくて、その人自身の「人柄」、その人の「命」であるように思う。
「なにで憶えられたいか?」という問いを、ドラッカーが本に書いていたっけ。そして、キヨシローは歌ってた。「愛し合ってるかい?」と。
(たしかに、よしたに。)
じぶんの能力を発揮する人について。
後輩であり親しい友人でもあるラグビー選手の布巻峻介とシュラスコを食べながら、ぼくの教えている高校ラグビー部の話題になった。
布巻
「学院(ラグビー部)はどうですか?」
ぼく
「おぉ、ちょっと、このビデオを観て」
(先週末の試合のビデオを見せる)
ぼく
「課題だと思ってるのが、チームでディフェンスできていないんだよね。敵と1対1の状況でタックルをしちゃっていて‥‥」
布巻
「(ビデオを観ながら)ディフェンスをつづけて、しんどくなればなるほど、横の人と話したり、顔を合わせたりできなくなってますね」
ぼく
「うん、うん」
布巻
「アタックなら、ズバ抜けた能力があれば、ひとりでトライまでいけるかもしれません。でも、ディフェンスは、かならずチームでやらないと止められません。そのためには、まず、『ひとりひとりが、じぶんの、そして味方の役割を明確に理解していること』が大事だと思います。ボールだけ見てたらダメです」
ぼく
「あぁ、たしかに(よしたに)」
布巻
「どんなにスキルがあっても、人とつながれなかったらダメですからね。やっぱり、いい選手はみんな、周りの人とつながっていて、じぶんのスキルを発揮できていると思います。つまり、コミュニケーションスキルのレベルが高いんです」
ぼく
「人とつながることで、スキルが発揮される。なるほど」
布巻
「ここのところ、ぼくが大事だなと思っているのが、『聞くこと』なんです。ぼくはもともと、声を出して『発信すること』に意識を向けていたんですが、それだけじゃなくて、両どなりの人の声を聞こうとする姿勢を大事にするようにしています」
ぼく
「話すより、まずは、聞くこと」
布巻
「はい。聞こう、っていう姿勢がないと、となりの人がどんなに大きな声で呼びかけていても、まったく耳に入ってこないんです。でも、聞く姿勢があれば、普段の声の大きさでもちゃんとコミュニケーションがとれますから」
ぼく
「なるほどなぁ。ふだんのコミュニケーションでも大切なことだね」
布巻
「あと、学院の子たちは、じぶんたちより強い相手がアタックしてくるのを必死にディフェンスしなきゃ、っていうメンタルなのかもしれません。目の前の相手を止めるのに必死になってしまうがゆえに。『オレたちのチームディフェンスを突破できるもんならやってみろ』くらいの余裕をもつのが大事だと思います」
ぼく
「たしかに、格上の相手と対峙するときほど、『守らなくちゃ』ってあせってしまうがゆえに、じぶんの世界に入ってしまって、余裕がなくなっちゃうのかもね」
布巻
「ニュージーランド代表のダミアン・マッケンジー(177cm 78kgと超小柄ながら世界トップクラスの名選手)がすごいのは、『いつも80%で走っていること』だと思うんです。20%の余裕があるから、パスもキックの選択肢があって、ディフェンスするこっちは迷って足が止まっちゃう」
ぼく
「はぁーーー」
布巻
「で、その瞬間に100%になって抜けていく。いつも100%で走ってる人なら、120kgの大男でも、コンタクトする瞬間にこっちが先にトップスピードになれば止められますが、余裕のある人は止めにくいですね」
ぼく
「でも、それは、80%でも足が超速い人、ってことでもあるね(笑)」
布巻
「いや、そうなんですけど(笑)」
‥‥と、まぁ、こんな感じで、焼きパイナップルとブラジルプリンを食べながら、ラグビーのことにはじまり、それだけにとどまらないような示唆に富んだ話をして、今日も解散したのでした。
(たしかに、よしたに。)
▲「このプリン、ばりうまい!」(布巻)
隣人を愛する人について。
Instagramに写真を投稿するOLも、大きな口を開けてワーワー泣く赤ちゃんも、なんだかやる気のない困った若手社員も、詩や音楽や絵を創造しつづけてきた芸術家たちも、世界になにかを発信してる人たちというのは、せんじつめていっちゃえば、
「オレのことわかってくれよぅ!」
なんじゃないか。
だから、「いいね!」(あなたに共感したわよ)って通知がくると、「わかってもらえたぁー!」って、うれしくなる。
人はみんなわかってほしい。だから、「汝、隣人を愛せよ」ということばが、2000年くらい前から、ずーーーっと世界中で愛されてるんだと思う。
「傾聴」とか「リスペクト」も、「汝、隣人を愛せよ」という豊かなメッセージに包まれているように思う。だって、「隣人」ってナンジャソレ。「家族」でも「親友」でも「友人」でもない、ものすごく嫌いな人かもしれないのに、「そいつも愛しちゃおうぜ」です。
で、愛しちゃうもんだから、愛されちゃう。よく小学校とかで教室がうるさくて、先生が「静かにしなさーい!」って言うけれど、あれは、あんまり効果はなくて、反対に、先生が、
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
って沈黙すると、あらふしぎ、教室は静かになる(ついでに「静かになるまで1分かかりました」とかいう)。つまり、「黙らせたいときは、じぶんが黙る」っていうのが、いちばん効果があるんだ。
人間は、みんな「わかってほしい」。だから、まずは「わかってあげる」。そのために必要な精神は「汝、隣人を愛せよ」ということなのか。
あと、よく聞く「マネジメントには傾聴を心がけよ」ということばの落とし穴は、「聴くだけじゃがっかりさせちゃう」ってところだと思うんです。「うんうんうんうん」とあいづちをして、傾聴する「態度」だけ見せちゃうと、「まずは部下への理解を示して、それからじぶんの言うことを理解してもらうため」とか「とにかく気持ちをしずめてもらうため」の傾聴になっちゃうことがある。そうすると、聴いたはいいんだけど、そのあと、その「傾聴した話」をふまえてなにかアクションがないときに、「あれは聴いたフリだったのかよ!」となりかねないんだよなぁ。
「傾聴」は、態度のことじゃない。こころの表現のひとつだ。だから、あらためて、「汝、隣人を愛せよ」ってことなんだよなぁ。それはそうと、ぼくが高校ラグビー部のチームを指導していて大事にしているのは「傾聴」よりも「観察」かもしれません。
(たしかに、よしたに。)