たしかに、よしたに。

あんな人やこんな人について、考えたことを書きます。すこしでも「たしかに」となりますように。

「愛し合ってるかい?」と歌う人について。

・たとえば、学生ではあるけれどプロ棋士の藤井四段は、1日のどれくらいの時間を将棋につかっているのだろう。それを「働きすぎ」と止められる人はいるだろうか。

仕事と死生観がつながる時代になっている。今こそ赤塚不二夫さんの「これでいいのだ」の思想が必要になっているんじゃないか。はじめに「死生」があり、その上に「人生」があり、その上に「家族」があり、その上に「仕事」がある。「仕事」は、決して最上位の概念じゃない。

小林麻央さんの死から、ずっと命について考えている。じぶんの命は、じぶんだけのものじゃないということ。亡くなっていったご先祖さまたちがつないでくれた命のバトンを受けて、いまここに生きているということ。歴史上に、じふんは、じぶんひとりしかいないということ。なんのために、じぶんの命を使うのかということ。じぶんの命は、じぶんだけのものじゃないということ。

・はじまりからおわるのではなく、おわりから、はじまる。死ぬために生きるのではなく、生きるために死ぬ。逆説的だけれど、これこそが、本質的なのかもしれない。

死ぬときにのこるのは、どれだけ偉かったとか、どれだけお金をたくさん持っていたとか、そんなことじゃなくて、その人自身の「人柄」、その人の「命」であるように思う。

「なにで憶えられたいか?」という問いを、ドラッカーが本に書いていたっけ。そして、キヨシローは歌ってた。「愛し合ってるかい?」と。


(たしかに、よしたに。)

じぶんの能力を発揮する人について。


後輩であり親しい友人でもあるラグビー選手の布巻峻介シュラスコを食べながら、ぼくの教えている高校ラグビー部の話題になった。

 

布巻

「学院(ラグビー部)はどうですか?」

 

ぼく

「おぉ、ちょっと、このビデオを観て」

 

(先週末の試合のビデオを見せる)

 

ぼく

「課題だと思ってるのが、チームでディフェンスできていないんだよね。敵と1対1の状況でタックルをしちゃっていて‥‥」

 

布巻

「(ビデオを観ながら)ディフェンスをつづけて、しんどくなればなるほど、横の人と話したり、顔を合わせたりできなくなってますね」

 

ぼく

「うん、うん」

 

布巻

「アタックなら、ズバ抜けた能力があれば、ひとりでトライまでいけるかもしれません。でも、ディフェンスは、かならずチームでやらないと止められません。そのためには、まず、『ひとりひとりが、じぶんの、そして味方の役割を明確に理解していること』が大事だと思います。ボールだけ見てたらダメです」

 

ぼく

「あぁ、たしかに(よしたに)」

 

布巻

「どんなにスキルがあっても、人とつながれなかったらダメですからね。やっぱり、いい選手はみんな、周りの人とつながっていて、じぶんのスキルを発揮できていると思います。つまり、コミュニケーションスキルのレベルが高いんです」

 

ぼく

「人とつながることで、スキルが発揮される。なるほど」

 

布巻

「ここのところ、ぼくが大事だなと思っているのが、『聞くこと』なんです。ぼくはもともと、声を出して『発信すること』に意識を向けていたんですが、それだけじゃなくて、両どなりの人の声を聞こうとする姿勢を大事にするようにしています」

 

ぼく

「話すより、まずは、聞くこと」

 

布巻

「はい。聞こう、っていう姿勢がないと、となりの人がどんなに大きな声で呼びかけていても、まったく耳に入ってこないんです。でも、聞く姿勢があれば、普段の声の大きさでもちゃんとコミュニケーションがとれますから」

 

ぼく

「なるほどなぁ。ふだんのコミュニケーションでも大切なことだね」

 

布巻

「あと、学院の子たちは、じぶんたちより強い相手がアタックしてくるのを必死にディフェンスしなきゃ、っていうメンタルなのかもしれません。目の前の相手を止めるのに必死になってしまうがゆえに。『オレたちのチームディフェンスを突破できるもんならやってみろ』くらいの余裕をもつのが大事だと思います」

 

ぼく

「たしかに、格上の相手と対峙するときほど、『守らなくちゃ』ってあせってしまうがゆえに、じぶんの世界に入ってしまって、余裕がなくなっちゃうのかもね」

 

布巻

ニュージーランド代表のダミアン・マッケンジー(177cm 78kgと超小柄ながら世界トップクラスの名選手)がすごいのは、『いつも80%で走っていること』だと思うんです。20%の余裕があるから、パスもキックの選択肢があって、ディフェンスするこっちは迷って足が止まっちゃう」

 

ぼく

「はぁーーー」

 

布巻

「で、その瞬間に100%になって抜けていく。いつも100%で走ってる人なら、120kgの大男でも、コンタクトする瞬間にこっちが先にトップスピードになれば止められますが、余裕のある人は止めにくいですね」

 

ぼく

「でも、それは、80%でも足が超速い人、ってことでもあるね(笑)」

 

布巻

「いや、そうなんですけど(笑)」

 

‥‥と、まぁ、こんな感じで、焼きパイナップルとブラジルプリンを食べながら、ラグビーのことにはじまり、それだけにとどまらないような示唆に富んだ話をして、今日も解散したのでした。

 

(たしかに、よしたに。)

 

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▲「このプリン、ばりうまい!」(布巻)

隣人を愛する人について。

 

Instagramに写真を投稿するOLも、大きな口を開けてワーワー泣く赤ちゃんも、なんだかやる気のない困った若手社員も、詩や音楽や絵を創造しつづけてきた芸術家たちも、世界になにかを発信してる人たちというのは、せんじつめていっちゃえば、

 

「オレのことわかってくれよぅ!」

 

なんじゃないか。

だから、「いいね!」(あなたに共感したわよ)って通知がくると、「わかってもらえたぁー!」って、うれしくなる。

人はみんなわかってほしい。だから、「汝、隣人を愛せよ」ということばが、2000年くらい前から、ずーーーっと世界中で愛されてるんだと思う。

「傾聴」とか「リスペクト」も、「汝、隣人を愛せよ」という豊かなメッセージに包まれているように思う。だって、「隣人」ってナンジャソレ。「家族」でも「親友」でも「友人」でもない、ものすごく嫌いな人かもしれないのに、「そいつも愛しちゃおうぜ」です。

で、愛しちゃうもんだから、愛されちゃう。よく小学校とかで教室がうるさくて、先生が「静かにしなさーい!」って言うけれど、あれは、あんまり効果はなくて、反対に、先生が、

 

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 

って沈黙すると、あらふしぎ、教室は静かになる(ついでに「静かになるまで1分かかりました」とかいう)。つまり、「黙らせたいときは、じぶんが黙る」っていうのが、いちばん効果があるんだ。

人間は、みんな「わかってほしい」。だから、まずは「わかってあげる」。そのために必要な精神は「汝、隣人を愛せよ」ということなのか。

あと、よく聞く「マネジメントには傾聴を心がけよ」ということばの落とし穴は、「聴くだけじゃがっかりさせちゃう」ってところだと思うんです。「うんうんうんうん」とあいづちをして、傾聴する「態度」だけ見せちゃうと、「まずは部下への理解を示して、それからじぶんの言うことを理解してもらうため」とか「とにかく気持ちをしずめてもらうため」の傾聴になっちゃうことがある。そうすると、聴いたはいいんだけど、そのあと、その「傾聴した話」をふまえてなにかアクションがないときに、「あれは聴いたフリだったのかよ!」となりかねないんだよなぁ。

「傾聴」は、態度のことじゃない。こころの表現のひとつだ。だから、あらためて、「汝、隣人を愛せよ」ってことなんだよなぁ。それはそうと、ぼくが高校ラグビー部のチームを指導していて大事にしているのは「傾聴」よりも「観察」かもしれません。

 

(たしかに、よしたに。)

初めてラグビーを観に行く人について。

あんまりラグビーを観に行かない人を連れて、ラグビーを観に行くと、申し訳ないきもちになることがある。

その日は、朝から雨が降っていた。14時のキックオフに間に合うように、お昼すぎに家人と自宅を出た。これから、「サンウルブズ vs. ブルズ」の試合を観に行くのだ。

「お昼ごはん、食べてからいく?なにか買って食べながら観る?」という話になって、そっちのほうがたのしいだろう、という理由で、「食べながら観る」ことにした。

外苑前駅に着いた。「秩父宮ラグビー場」は、あたかも埼玉県にありそうなのに東京・青山にある。スタジアムまでは、地下鉄から地上に出て歩いて3分ほど。試合の当日は、会場までの通りの飲食店が、「観戦する人たち」のために食べものを用意している。

なにか食べたいものはないか、と奥さんとキョロキョロしてみるけれど、「揚げもの」と「焼きそば」しかない。あぁ、あそこは中華料理屋だから、お弁当のチャーハンとかあるかもしれない、と思ったけれど、やっぱり、「揚げもの」と「焼きそば」しかない。

「お米、食べたいね」と、顔を見合わせる。コンビニのおにぎりは食べないようにしているのと、朝にパンを食べたから、それ以外のもの、と考えていたこともあったけれど、なかなか、「食べたいもの」に出合えない。

油たっぷりで具の少ない「焼きそば」と「揚げもの」は、やっぱりイヤだ、ということで、けっきょく、「ベローチェ」のサンドイッチとコーヒーを買って、会場に向かった。で、会場にも売店があったのだけれど、やっぱり、「ちゃいろの食べもの」がメインだった。

ぼくたちは自由席だったので、雨に濡れない屋根のある席を探した。「南スタンド」というトライをするのが目の前に見えるところに屋根があるので、そこに座った。

すると、どうだ。すぐうしろに大きなスピーカーがあって、となりの人と話すのもタイヘンなくらいの大音量でノリノリのBGMが鳴っていた。たぶん、会場全体に響かせるためのスピーカーが、ここにしか設置していないのだろう。だから、大音量になっていたのだと思う。DJの女性が両手を上下に動かして会場を煽っていたけれど、その手の動きのように、ボリュームを下げてほしい、と思った。

試合がはじまってしばらくして、「トイレに行きたい」と、うちの奥さんが言った。ぼくは、「雨に濡れないで行けるトイレはあるかな」とか「どっちのトイレのほうが近いのかな」とか「洋式トイレがあるのはどこなのかな」と、ふだんここに来ない人が困らないように考えたけれど、正直いって詳しくないので、「あっちに歩いていったほうにトイレがあるのは知ってるよ」とだけ伝えた。

けっこう長い時間が経って、やっとトイレから帰ってきた。どうやら、トイレのあるエリアに行くのには「チケットの半券」が必要だったらしくて、「雨の中なのでなんとかなりませんか」と交渉していたんだとか。

もどってきて、ベローチェのサンドイッチを食べながら、試合観戦をつづける。反則が起きた。会場の大型スクリーンに「ルール解説」が表示される。「ラックの中にあるボールを手で扱うこと‥‥」という解説文を読んで、「ねぇ、『ラック』ってなに?」と家人が言う。うん、ごめん。ごもっともだよね。

 

‥‥と、試合がはじまって20分くらいまでに起きたことを、いくつか書いた。ぼくが思ったのは、「人がうれしいことってなんだろう?」ということ。

ダイエット中の女性や妊婦さんにとっては、「右に300m歩けば授乳室付きの洋式トイレがあります」という張り紙が会場に張ってあるだとか、「ちゃいろ」じゃない食べものが売っていることかもしれない。こどもたちにとっては、「会場に着いたら試合前にラグビー選手とパスしたり、持ち上げられたりすること」かもしれない。初めてラグビースタジアムに来た人にとっては、「わかりやすいルール解説がスクリーンに表示されること」や思わず買いたくなるような「そこに参加した証」になる質のいいグッズを買うことかもしれない。

「有名なアーティストを呼ぶ」とか「大音量のスピーカー機器とDJを入れて若者向けの音楽を流す」のも、もちろんいい。けれど、こういう「お金のかかること」だけが、「新しい取り組み」とは限らない。こういう、ちょっと手間はかかるけれど、「来た人にとってうれしいこと」って、ちょっと考えるだけでも、けっこうあるような気がする。

なによりも、初めてラグビースタジアムに来た人にとって「じぶんがいてもいいんだ」っていう自己肯定感をあたえることが、大事なんじゃないかと思う。2020年の東京オリンピックまでには、「相手がうれしい」っていう、ほんとうの意味での「おもてなし」が根づいてるといいなぁ。

日本全国にこれだけコンビニがあるのは、「うれしいこと」を積み重ねてきたからだと思うんです。「便利な」という意味の「コンビニエンス」ということばが付いているおかげで、カップ麺を売るだけじゃなくてお湯もサービスしようと考えたしし、公共料金の支払いもできるし、荷物だって送れちゃう。「オレたちってなんだっけ?」の問いに、「便利なことをサービスしようぜ」という豊かな答えがあって、「うれしさ」や「よろこび」になっているんだと思う。

「うれしいこと」があって、「じぶんがいてもいいんだ」っていう自己肯定感を得られた場所には、「また行きたい」って思うもの。と、思うんです。

 

(たしかに、よしたに。)

パスを送る人と受ける人について。

この時期になると、ぼくの指導している高校ラグビー部に、「新入部員」がやってきます。ほとんどが、中学までは野球とかサッカーとかテニスとかをやっていた子たちなので、まずは基本スキルである「パス」から教えなきゃなりません。

ラグビーの指導の現場では、「パス」を教えるときに、「キャッチ」の練習をします。いま、「一般的には」という感じで書きましたが、すみません、ぼくは、まず「キャッチ」から教えています。

ラグビーボールは、みなさんご存知のとおり楕円球ですので、球体をキャッチするのとちがって、つかみにくいんですね(そのぶん、「腕や胸に抱えながら走りやすい」とは思うのですが)。

で、いいパスをするためには、この楕円球の「芯」の部分をつかんで、さらに、「パスをするときの状態」でキャッチをするのが理想です。なぜなら、「キャッチしたらすぐに投げられる」から。ボールをキャッチしたあとに、パスをするための手の形に持ち替えていたら、パスをするのが遅くなってしまいます。

さらにいえば、「いいキャッチ」をするためには、自分から「パスをくれ!」とパスをくれる相手に声をかけておく、というのも、とても大事です。つまり、パスの送り手と受け手が、「おれは投げるぞ」「おれは受けるぞ」という「信頼」という名のコミュニケーションをしっかりとれているのが、ミスをなくすために、大事なことなのです。

「いいパスは、いいキャッチから。」「ボールを落とさないコツは、送る側と受ける側がお互いに共通の認識を持っていること」。これ、ラグビーに限らず、普段のコミュニケーションも、おんなじかもしれません。

それはそうと、職場でも部活でも、「新人がやってくる」というのは組織にとってすばらしいことだと実感しています。もともといた人たちが原点を見つめなおせますし、1年前は「新人」だった2年目たちが「お兄ちゃん・お姉ちゃん」の顔つきになるんですよね。

会社では新卒を採用するのは、「投資」の意味合いが強いけれど、ぜったいに「儲け」以外の果実を組織にもたらしてくれると思います。みんな、どこかの組織で、「なにもないじぶん」を育ててもらった人がほとんどですから、つぎはだれかを育てないと。

人間のカラダも、新陳代謝しなくちゃ、健康といえません。組織もおんなじだと思うです。

 

(たしかに、よしたに。)

変わらないために変わりつづける人について。

ルイ・ヴィトン
フラグメントデザインとコラボする。
さらに、いよいよ、ほんとうに、
シュプリームともコラボする。

ここまで聞いて「?」と
読むのをやめてしまった人は、
もうこの文章を読んでいないので、
話をつづけさせていただきたい。

シュプリームは、
1994年にニューヨークで生まれた、
生粋のスケーターブランドである。
放送禁止用語がTシャツに
「どーーーんっ」とプリントされている
「不良たち」に愛されるブランドだった。

それが、あの、
歴史と実績あるラグジュアリーブランド、
ルイ・ヴィトンさまとコラボレーション。

いわば、窪塚洋介秋篠宮佳子さまが
結婚したようなものである。

いまの時代、
「それまでのイメージ」に固執するような
「伝統を守るんだ!」でなく、
「市場はなにをよろこぶのか?」を考えて
伝統を守るのが大事なんじゃないか。

変わらないために、
変わりつづけるんです。

とは、創業111年の
株式会社竹村コーポレーション、
今福社長(38歳)のことばでありますが、
「社内事情」や「業界」を見ずに、
あくまで「顧客」と「市場」を見て、
それを生み出し、広げていく。

「クリエイティブ」っていうのは、
そういうことのような気がしている。


(たしかに、よしたに。)

インタビューを受ける人について。

「お供え物がヤクルトから
    ビールになりました。
    いつも見守っていてくれて
    ありがとうねって伝えました」

1月17日。
原宿にある定食屋で
サバの味噌煮を食べていたら、
こんなことばがテレビから流れてきた。

当時1歳だった孫を亡くしたおばあちゃんの
インタビュー映像だった。

このおばあちゃんにとって、
1歳だった孫がどんな存在であったのか、
いま、どんなきもちで暮らしているのか、
どれくらいの月日が過ぎているのか‥‥

このひとことに、
それらすべてが表現されていて、
多くの人の共感を生むことばだと思った。

どんな小説家やコピーライターが、
「気の利いたことば」を書いても、
「ほんとうに思っていること」には、
絶対にかなわないなぁと思った。

おばあちゃん、
心を揺さぶることばを
ありがとうございました。

ひ孫の顔を見るまで、
長生きしてくださいね。

ご冥福をお祈りいたします。


(たしかに、よしたに。)

どん底にいる人について。

この冬いちばんの
寒波がやってきた先週末。

致知出版社」が主催する
新春講演会にいってまいりました。
 

1200人以上の全国の『致知』の読者が
恵比寿のウェスティンホテルに集合。
 

この、『致知』という雑誌は、
王貞治さんや稲盛和夫さんをもってして
致知を読む日本人が増えれば、
   日本はかならずもっとよくなる」と断言する
それはそれは、志あふれる
「人間学」についての雑誌です。

ぼくなりのことばで、
致知』の魅力を伝えるならば、
 

「大事な人にすすめたい雑誌」
「読者であることが誇りの雑誌」
「がんばる人をことばで勇気を与える雑誌」

であり、

この雑誌の掲げる「人間学」とは、

「試練や壁を目の前にしたときに過去に、
 それをどう乗り越えるのかを学ぶこと」

だと思っています。

この日は、あの鎌倉・円覚寺
管長(トップ)である横田南嶺先生、
ノーベル医学賞の大村智先生、
そして、致知出版社の藤尾代表のご講演。

ちなみに、横田先生も大村先生も、
みーんな『致知』の愛読者だそうで。

小学生みたいな感想ですが、
「すっっっごくおもしろかった」です。
 

たとえば、
「どん底でほほえむ」というお話。
 

まわりの人から
「若いのに喀血で大変ですね‥‥」
と気の毒そうにいわれた宮沢賢治は、
 

「私から見えるのは綺麗な青空と透き通った風です」
 

と答えたそうです。

つまり、井戸の底をのぞく人たちは、
暗闇しか見えないけれど、
どん底にいる彼が見上げた世界には、
綺麗な青空と透き通った風がある、と。

つらいときには、
「こうありたい」「この場から逃げよう」
ともがくよりも、
暗闇だからこそ気づく光を見つめて、
いまのじぶんの役割を果たすこと。

横田南嶺先生は、その大切さを
説かれていたような気がします。

「勇気」というものは、
「過去」から得られるのかもしれない。

そんなことを、
5時間におよぶ講演を
聴いていて思いました。

「未来」は希望だけれど、
ほんとうの「事実」として、
人に勇気を与えてくれることばは、
「過去」にあるのかなぁ、と。

では、そんな「過去」から、
『孝経 開宗明義章第一』にある
この一節をみなさまにおすそ分けして、
ひさしぶりのブログを締めます。

 

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この体はすべて親から授かったものだ。だから無茶をして傷つけたりしてはいけない。これが孝行の始めだよ。それから世の中に出て正しい道を実践躬行して立派な人格を築き上げ、完成させる。そして亡くなった後も名が人の評判に揚がる。そのときに自分の名だけではなく、父や母の名まで揚がる。これが孝行の終わりというものだ。だから孝行とは、まず親に仕えることから始まり、君に仕えることを経て、人格を次第に完成していき、年をとるほど立派な人物になって天寿を全うしたところで終わるものなのだ。

 

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(たしかに、よしたに。)

好きなものを書く人について。

「ほぼ日」に登場させていただきました。 

わたしの好きなもの。 - ほぼ日刊イトイ新聞

 

よろしければご覧くださいませ。

 

「好きなものを自由に書いてください」

という課題(テーマ)だったので、

パッと思い浮かんだものは、

「ゴローズ」「ラグビー

そして、「とんかつ いもや」。

 

1つめのゴローズは、

昔からの熱狂的なファンたちから、

「おまえが語るな」と言われそうな、

そんな気がしてしまって、断念。

ジャニーズファンでも、ラグビーでも、

「昔からいるファン」というのは、

どうしてこうもsnobなんでしょうかね。

 

あと、語りだしたら原稿用紙400枚は

(いま、この言い方ってするのかな)

いってしまうので、やめました。

 

ラグビー」を題材に書くのも

いいとおもったのですが、

ほかのここに書く人たちのなかに、

サッカーや野球をテーマにする人が

もしかしたらいるんじゃないか、

そうすると、「そのカテゴリー」になって

「どっちのスポーツテーマのほうが面白いか」

ということを無意識に比べてしまう人が

現れるじゃないかと思って消去。

あと、このブログで、

よくラグビーのことは書いているので、

あえてもっと広いテーマにしよう、と。

 

で、さいごの「いもや」

これは、神保町にあるとんかつ屋。

とにかく、ここのお店が好きで、

神保町のあたりに用のあるときは、

からなずと言っていいほど、

このお店に足を運ぶ。

 

なにがいいって、

「うまい!」とか「サービスいい!」とか、

「夏は冷房が効いてて助かる!」とか、

そんなものじゃなくって、

「あそこで過ごす時間」がいいのだ。

 

私語厳禁。

お店はとんかつを揚げている音と、

揚げあがるまえに「揚げ職人」が出す、

「はい」というサインのみ。

(その合図でもう1人がご飯をよそう)

カップルなどいるわけがない。

そこを訪れた者たちは

カウンターでひたすら、

とんかつと向き合うのだ。

 

カウンターは木製で、

古いけれど綺麗で味がある。

ソース入れだって、

いつもピカピカに拭かれている。

おなじものを、ずっと大事にしている、

そんな、店内にある個性的なモノたち。

 

カウンターの向こうには、

千切りされたキャベツ、

業務用のパン粉の大きな袋、

ボールに詰められた卵が

ものすごく丁寧に整然と置かれている。

あと置かれているのは、

積まれた赤いお肉、卵、パン粉、揚げ器、

白米の入った木製の釜のみだけだ。

 

店員のみなさんには、

一切の動きのムダはない。

とんかつという食べ物が

「ロース肉に卵をかけて

 パン粉をまぶして揚げる」

というシンプルなプロセスで

できあがっていく時間を

目のまえで味わうことができる。

 

メニューはたった2つ。

「ヒレかつ定食」「ロース定食」。

それぞれ千円と八百円。

 

肉は大きく、ボリュームがある。

そして、もちろん美味い。

それでいて、この価格。

 

ぼくは、まったくグルメじゃないし、

美味しいものを語る人間でもない。

むしろ、おんなじお店で、

いつもラーメンか、ハンバーグか

回鍋肉定食か、とんかつしか食べない。

食においては、保守的な人間である。

 

でも、このお店だけは、

ぜひ語りたかった。

 

神保町にいくときは、

ぜひ、「いもや」へ。

 

お店にはいった瞬間に、

「ヒレ?かつ?」と

割烹着を着た人に言われるので、

迷わず「かつで」と言いましょう。

 

 

‥‥と書いていながら、ふと。

そうだ、「年末年始」も好きだなぁ、

ということに気がついた。

 

(たしかに、よしたに。)

 

 

サンウルブズという人たちについて。

サンウルブズが「スーパーラグビー」で初勝利を飾った。

 

正午から会社の先輩の結婚式があり、おわってから外苑前にある秩父宮ラグビー場に駆けつけた。

 

席に着いたのは、後半10分頃。4点差で負けていた。が、まず会場の雰囲気のおどろいた。サンウルブズの開幕戦も観戦していたのだけれど、その時とは、まったくちがう。

 

まえに観たときは、会場にいた人たちがみんな、高校の入学式の日にクラスメイトと話すようなよそよそさがあった。きっと、運営側もファンも、初めてのスーパーラグビーとの付き合いかたが、いまいちわからなかったのだと思う。

  

* * *

 

前回のチーターズ戦は<17-92>で敗戦。この数字だけをみると、「これが世界最高峰のラグビーリーグか‥‥」「なんだ日本代表って強いんじゃなかったの?」と肩を落としてしまっていたファンが多くいると思う。

 

でも、すこし考えてみると、「そんなことないよ」という見方もある。キーワードは「初参戦」と「アウェー」。

 

この試合は南アフリカブルームフォンテーンで行われた。サンウルブズの公式SNSの発信をみると、おそらく試合の前日くらいに現地入りしている。

 

ウィキペディアによれば、このブルームフォンテーン、標高は1400m。これまたウィキペディアによれば、日本ラガーマンの聖地「菅平高原」とほぼ同じ標高である。

 

菅平で合宿をしたことのある人なら経験したことがあるかもしれないが、山の登ったその日は、酸素の薄さにカラダが慣れない。空気が薄いからか、やけにキックが飛ぶ。(ラガーマンはその話だけで仲よくなる)

 

ぼくは記者じゃないので事実を知らないけれど、もしも菅平と同じ標高の地に、前日入りしていたのだとしたら、高地でのトレーニングにカラダが慣れていなかった可能性はじゅうぶんにある。

 

しかも、そこは菅平とちがって、遠く離れた南アフリカ。きちんと日本食を摂れていたとは限らない。

 

つまり、もしここに書いた通りだとすれば、選手たちのコンディションは万全と言えなかっただろう。

 

そのあたりのマネジメントも含めて「チーム力」と言えばそれまでだけれど、やはり、そこは「初参戦」で「アウェー」。ハンディキャップは決して小さくなかったと思う。

 

* * *

 

世界最高峰リーグに初参戦してからこれまでずっと連敗がつづき、「なぜ参入したのか」を問うメディアもあった。

 

選手たちの耳には世間の雑音が入り、先の見えない状況のなかで、どれほど苦しかっただろうか。私たち凡人には想像すらつかない。

 

それでも、ひさしぶりに我々の目の前に現れたサンウルブズは、まったく諦めていなかった。最後のノーサイドの瞬間まで攻めつづけていた。

 

ボクシングで言えば、12ラウンド目でもうフラフラなのにそれでも、勝利への執念でずっとファイティングポーズをとっているような状態だった。

 

そんな選手たちの背中を押すように、秩父宮ラグビー場は、たくさんのファンの声援であふれていた。みんな、「スーパーラグビーで日本が勝利する」という歴史的瞬間を待ち望んでいた。ぼくの隣に座っていたとある選手の家族は、「ここは富士急ハイランドか」と思うくらい絶叫していた。そして、サンウルブズは<38-26>で白星をあげた。

 

今年のスーパーラグビーが開幕後、「W杯で南アフリカを撃破した日本代表はどうしたんだ?」と思った「にわかファン」の方が多くいたんじゃないか。いや、「にわか」じゃなくても、「けしからん!」とスポーツ紙を叩きつけているオールドファンもいたと思う。

 

たしかに、サンウルブズは日本を代表する選手たちが集まっているから「日本代表」と言える。ただ、W杯とちがって国どうしの闘いではなく、ラグビー経験者ならだれもが「テレビの向こうの世界」だと思っていた、あの「スーパーラグビー」なのだ。

 

野球のWBC侍ジャパンが優勝したからと、読売ジャイアンツが大リーグに参戦したようなモンなのだ。‥‥ン。「それはちがうぞ」という声が聞こえてきましたが、とにかく「すげえ奴らと闘っている」のである。

 

* * *

 

もちろん、闘っているのは選手たちの生身のカラダ。その質量・動きが、試合の結果を左右しているだろう。けれど、天候や標高、土地やスタジアムの雰囲気、すべてのあらゆる環境が結果を支配しているんだな、と実感したような今日のジャガーズ戦だった。

 

昔に読んだ『強い者は生き残れない』(著・吉村仁/新潮選書)という本に、「強い者が生き残るのではなく、変わりつづける環境に適応した者が生き残る。その最も有効的な手段のひとつは他者と共存することである」というような内容が(うろ覚えです)書いてあった。

 

きっと、そうなのだ。「強い」とは、誰かを打ち負かすことではなく、勇気をもって弱き人たちの先頭に立って、変わり続ける環境のなかで、協力していけることなのだろう。それはつまり、多くの人に「愛されていること」なのだろう。

 

サンウルブズ。「強い」ぞ。これからが、もっと楽しみだ。

 

この日の勝利のニュースが日本じゅうに行き渡って、ひとりでも前向きになれる人が増えますように。

 

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(たしかに、よしたに。)

 

 

 

こちらは秩父宮ラグビー場に来るまえの結婚式。

めでたい日でした。(会社の仲間たちと)

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