たしかに、よしたに。

あんな人やこんな人について、考えたことを書きます。すこしでも「たしかに」となりますように。

「キックオフ!釜石 8.19」のこと。

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ラグビーワールドカップ2019™における国内12会場で唯一の東北開催地である岩手県釜石市。ちいさな三陸沿岸のこの町は、2011年3月11日東日本大震災で大きな被害を受けました。それでも、このまちに希望をつくるために開催候補地に名乗りを上げて、スタジアム建設を決めたのです。地元をはじめ全国から応援してくださる人びとがひとつになり、8月19日、ついに「釜石鵜住居復興スタジアム」が完成しました。

そのオープニングイベントである「KICKOFF!KAMAISHI 8.19」、ほんっ‥‥とうに、よかった。 

とくに、こどもたちが歌ったり、踊ったり、スピーチしたりする姿をじっと見ながら、涙がこみ上げてきて仕方がなかった。「想い」が伝わってくというのでしょうか、こどもたちのピュアさやポジティブさに、胸を打たれたのだと思います。

「ワールドカップのあとの維持費をどーするんだっ!」と、悲観的にも、厭世的にもならずに、こどもたちはできることを一生懸命やってきたのでしょう。その歌声、その全身の表現、その言葉から、釜石というまちを盛り上げるために、世界中の人を受け入れるために がんばるんだ、という意志のようなものを感じました。希望のほうを見つめているその姿勢に、心を動かされたのだろうと思います。

あと、あのスタジアムの雰囲気は、きっと一生わすれられないだろうなぁ。人は、みんなちがう。だからこそ、誰かときもちが通じ合ったり、わかり合えたりするとうれしいものですが、あの日、あのスタジアムにいた人たちはみんな、おなじ思いで、ひとつになっていたように思うのです。その場をみんなが信じきっていた。人は多かったけれど、みんな心に余裕があったのでしょうね。

東京から釜石へ行くには、新幹線に3時間くらい乗って、そこから、さらによく鹿にぶつかって運転見合わせしてしまう釜石線に2時間ほど揺られて、やっとたどり着きます。8月19日のオープニングイベントは、人口3.5万人のまちに日本中からワァっと人がきていてホテルも足りていないので、みんな盛岡や新花巻あたりに泊まらなきゃいけません。ところが、それほど「不便」なところに、誰に頼まれたわけでもなく、自分からうれしそうにやって来た人たちなのだから、みんな「いい人」で「いい場」になったのでしょう、きっと。

* * * * 

ぼくは、今年の3月11日に初めて釜石を訪れて、それから今回をふくめて4回ほどスタジアムに足を運ばせていただいているのですが、これまでは大きな工事がすでにおわったせいなのか、スタジアムはとても静かでした。そのスタジアムに、音があふれている。人があふれている。笑顔があふれている。それだけでもう、胸にこみ上げてくるものがありました‥‥。

あの日、いろんな人に会えたことも、うれしかった要因のひとつだと思います。漫画の最終回に、これまで登場したキャラクターが次々に出てくるみたいに、日本ラグビー協会ラグビーワールドカップ組織委員会釜石シーウェイブスヤマハ発動機の選手やスタッフ、これまでラグビーを通じて出会った知人や友人‥‥「あぁ、あなたも釜石まで来ているのね!」という人たちに、あの場所でたくさん会えてうれしかった。

* * * * 

さて、ここからは、写真で釜石との思い出を振り返っていきたいと思います。

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▲2018年3月11日、はじめて釜石に行った日です。行くことが決まったのは前日でした。ここは「宝来館」というスタジアムから近いところにある「浜べの料理宿」です。

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f:id:kangaeru_gorilla:20180822003835j:plain▲午後2時46分、サイレンの音とともに、みんなで祈りをこめた風船を空へ飛ばしました。

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▲「宝来館」の女将の岩崎さんです。天使のような笑顔。カリスマ的なリーダーシップ。そんな女将さんから、釜石のことをたくさん教えていただきました。「このスタジアムは、原っぱなんです。緑がたくさんある、原っぱ。そして、これから1000年つづく、原っぱ。8月19日は、1000年の1日目なんですよ!」(女将さんのお話より)

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▲はじめてスタジアムに行ったときです。この5ヶ月後には、あれだけ立派なものができているなんて。

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▲初釜石の旅は、オーストラリア代表で元釜石シーウェイブスのスコット・ファーディーも一緒でした。おどろくほど紳士的でやわらかく、ワールドカップニュージーランド代表と激闘していた人と思えないほどでした。

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▲ファーディーと小佐野小学校の紺野校長のお話を聞きに行きました。「震災のあと、こどもたちに話したことは3つ。みんなの命は、守られた命であるということ。大きな地震がきたら、とにかく高台へ逃げること。そして、ファーディーのような人を助けられるような人になること」(紺野校長のお話より)

f:id:kangaeru_gorilla:20180822004146j:plain大学ラグビー部のセンパイであるスポーツジャーナリストの松瀬学さんも、ずっと一緒でした。帰りの釜石線が事故で停まってしまって、振替輸送のタクシーも北陸新幹線もずっと一緒。たくさんご馳走さまでした。

f:id:kangaeru_gorilla:20180822005802j:plain▲これは2018年5月15日です。この日は、イベントの記者会見でした。まだ、「キックオフ!釜石 8.19」という言葉だけで、ロゴマークも「リポビタンD 釜石鵜住居復興スタジアム オープニングDAY」という大会名称もなかったときですね。

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▲こちらは5月28日、2回目の釜石です。この日は、ポスターやチラシ、ホームページで使う「ステートメント」を釜石市野田市長にプレゼンをするためにやってきて、そのあとスタジアムを見学させていただきました。野田市長は、いつも「市民のみなさんはなんて思うかなぁ‥‥」と釜石市民のことを考えてらっしゃいました。

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▲左の方は、今回の仕事のアートディレクターをお願いした窪田新さん。すばらしいロゴマークやデザインを生み出してくださった方です。初めて一緒に仕事をさせていただきましたが、ひとつひとつの仕事とていねいに向き合い、受け手の想いをとても大事にされる方で、窪田さんと釜石の仕事ができたことを誇りに思います。
右の方は、釜石市の長田剛さん。元ラガーマンです。いつもやさしくスタジアムを案内してくださったり、クルマで釜石駅まで送迎してくださったり、本当にお世話になりました。そして、なにより、ハートの熱い方です。長田さんに出会えたことも、うれしかったなぁ。

f:id:kangaeru_gorilla:20180822011645j:plain▲そして、3回目の釜石は8月1日。この笑顔のすてきな洞口留伊さんに会いに行ってきました。その数日前に、ワールドカップ組織委員会のGenさん(詳しくはのちほど)からこんなメッセージが。「釜石の高校生向けのプログラムに参加したときに、目をキラキラさせながら、『来年のワールドカップで私たち高校生にどんなことを期待していますか?』って質問をしてきた女の子がいて、この子なら釜石の明るい未来を表現できると直感的に思うのです」。ならば、彼女に試合直前の「キックオフ宣言」をやってもらおう、さらに、『岩手日報』の15段広告にメッセージ広告を出そう、となり‥‥それから1週間ほどのあいだで原稿づくり、撮影、デザイン、入稿などをみんなでやりとげました。釜石市の下村さん、浦城さんにたくさんお世話になりました。もちろん、この企画を実現させるために尽力してくださった方々がたくさんいます。この場を借りてあらためて、ありがとうございます。

f:id:kangaeru_gorilla:20180822012502j:plain▲スタジアムを実際に見て、感じたり思ったり考えたりする洞口さん。あ、右端には長田さんもいます。長田さんも「ルイちゃん、最高やな」と太鼓判を押していました。

さて、いよいよ、8月19日の当日です。

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ロゴマークがあちこちに!スタジアムの雰囲気にとてもなじんでいました。(旗の写真の撮影:窪田新さん)

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▲「ロゴマークの入った旗をつくって、そこに選手やゲストアーティストの方々、そして来場者のみなさんに想いを書いてもらおう」という企画も大正製薬さまのおかげで実現されました。

f:id:kangaeru_gorilla:20180822013933j:plain▲さぁ、いよいよ洞口さんの「キックオフ宣言」の直前です。これまで一緒にやってきたチームのみんなと笑顔で話してリラックスしていました。すごいなぁ。

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▲ドキドキドキ‥‥(洞口さんではなく、ぼくの心臓の音)

f:id:kangaeru_gorilla:20180822014150j:plain▲堂々と立派な、そして想いのこもったスピーチは、たくさんの人の心に伝わったと思います。これからも夢に向かってがんばってね、留伊ちゃん!

ちなみに、これが『岩手日報』の15段広告です。

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(アートディレクター:窪田新/撮影:川代大輔)*敬称略

おまけに、これが「ステートメント」を掲載したポスターとチラシです。

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このステートメントに書かせていただいた「それでも、希望を建てるんだ。」という想いは、果たして多くの人に伝わったのでしょうか‥‥「このスタジアムは、みんなの歓声で、完成する。」と実感してくれた人はいたのでしょうか‥‥。その答えはわからないけれど、これだけはハッキリと言えます。

 

わたしは、釜石が好きだ。
わたしは、ラグビーが好きだ。

 

(留伊ちゃんの『キックオフ宣言』の動画全編です、ぜひごらんください!)

 

www.youtube.com

 * * * * 

あと、この今回の「KICKOFF!KAMAISHI 8.19」のことを書く上で、忘れちゃアいけないのが「福島弦」という男についてです。「漢」と書くか、すこし迷いました。が、クレバーなご本人がイヤがりそうなので、「男」にしておきます。そして、ここからはいつも通り、「Genさん」と書きます。

Genさんはラグビーワールドカップ組織員会の方で、今回の釜石のイベント興行をほとんど取り仕切っていました。ぼくは、彼がサンウルブズの立ち上げを担当していたときからのお付き合いで、ラグビーワールドカップ2019™の大会キャッチコピーの仕事、そして、今回の釜石の仕事もご一緒させていただきました。この前代未聞のビッグイベントに臨むGenさんを半年ほど見ていて、「うまくいく人は、応援されている人」であり、「応援される人って、Genさんみたいな人だよなぁ」と、つくづく思わされたのです。

どんな人が「応援される人」なのか。それはまず、ありきたりかもしれないけれど、「素直な人が応援される」のだと思います。Genさんは、どんな人の声にもちゃんと耳を傾けられるし、いいと思ったら「いい!」と言ってくれる(もちろん、ちがうという時もハッキリと「ちがう!」と言ってくれる)。

あと、「ゴキゲンな人が応援される」のだと思います。Genさんは、誰に対してもフラットで、会うとかならず握手をしてくれます。そういう気さくな姿勢でいる人のほうが、批判や愚痴に熱心な人よりも、応援したくなるものだと思います。いつも夜遅くまで仕事をしていて、朝早くに起きているのに、ゴキゲンだなんて、すごい人ですまったく。

最後は、「がんばってる人が応援される」のだと思います。「がんばってる」というのはこわいもので、一歩まちがえると「おれはこんなにやってるのに」と不満や愚痴になることもあります。けれど、Genさんが愚痴をこぼしているのを見たことがありません。それは、「当事者」であるから、と思うのです。いくら批判や文句を言っても、なにも前に進まないことをわかっていて、まずは自分が手を挙げる。そんな姿勢をいつもGenさんからは感じます。そして、なによりも「アツい人」だからなぁ、Genさん。夢に熱いし、情に厚い。

8月19日のあの日、Genさんに「ありがとう」を伝えたい人がたくさんいたと思います。もちろん、ぼくもそのひとりです。Genさんのおかげで、釜石というまちにたくさんの知り合いができて、たくさんの思い出ができました。そして、自分にとってメモリアルな仕事ができました。‥‥という感謝の想いをその晩にメールしたら、すぐに「さぁ、次はなにをしようか!」と返ってきて、「Genさん半端ないって。余韻に浸らずもう次の方向見てるもん。そんなんできひんやん普通」と思いました。

それはそうと、Genさんは、もはや「釜石の人」になっていた(北海道生まれなのに)。ぼくを釜石に呼ぶときは「来る?」と言うし(東京・高輪台に住んでいるのに)、「ちょっと明日行ってくるわ」と、まるで恵比寿ガーデンプレイスに行く感覚で釜石に通っていました。

 * * * * 

追記なのですが、そのGenさんがこの記事を読んで、こんな感想を書いてシェアしてくれました。ぼくにとっても、この仕事はたくさんのことを気づかせてくれて、学ばせてくれて、おなじ想いをもつ仲間たちといっしょに仕事ができた夢のような仕事でした(そして、たくさんの人たちによろこんでもらえた仕事でした)。こちらこそ、心からの感謝を込めて。

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(たしかに、よしたに

 

こうありたいと思う人について。

湘南ベルマーレ」の事務所は、平塚駅というところから歩いて25分ほどかかるので、タクシーを利用することが多いのです、が。

きのうも、その事務所で湘南ベルマーレの社長・水谷さんと「ベルマーレの顔」ともいえる遠藤さちえさんと、あれこれを決めるためのミーティングを1時間半ほどして、「じゃあ、そろそろ帰りますね」と事務所の入り口のところでタクシーを待つことになりました。

いつも、ベルマーレのみなさんは事務所の入り口のところまで見送りしてくださるのですが、なんでも、きのうは雨が降っていたので、配車に10分ほどかかるとのことでした。ぼくは、「いいですよ、雨も降ってるんで、どうぞ戻ってください」と言いました。が、「大丈夫、大丈夫。事務所のまえに変なヤツがいるぞって社員が通報しないように、いっしょにいるよ」と水谷さんがおっしゃるので、10分ほどおしゃべりしながらタクシーを待ちました。

タクシーがやっと来て、「じゃあ、また」とぼくは乗り込み、タクシーは発車する。ぼくは、雨粒のたくさんついた窓越しに車内で会釈をしていたのですが、水谷さん、ずーーっと見えなくなるまで、こちらを見ながらそこに立っているんです。すこしくらいは、雨がかかっているはずです。むかし、おじいちゃんとおばあちゃんちに行った帰りも、ずっとおばあちゃんが手を振っていたことをふと思い出しました。

ぼくみたいな、ひとまわり、いやふたまわりくらい年齢の離れた若者に対しても、そういうことができるオトナの姿を見て、「じぶんもこういう人でありたいなぁ」と心底思いました。まったく偉ぶらない。くだらないジョークばかり言ってユーモアたっぷり。けれど、いつも人のために率先してドブに飛び込んでいく熱い心を持っているのが、水谷さん。あぁ、こうして書いていても、カッコイイなぁ。

きのう、水谷さんはこんな話もしてくれた。「ヨシタニさんね、ぼく、『志』と『夢』のちがいっていうのをなにかを見て考えたんですよ。志はね、その人が死んでもなくならないもの。ずっと世の中にのこる使命感の想いです。で、夢っていうのは、たのしさとかうれしさを、みんなで追い求めていくもの。どっちがいいとか悪いとかじゃないと思うけれど、ベルマーレは、やっぱり『夢』のほうだなぁと思いますね」と。

 

(たしかに、よしたに。)

たった1文字に敏感な人について。

老眼鏡をかけているくらいの年齢の人ならば、たいていの人が知っているようなラグビー界のスターがかつて存在していて、平尾誠二というお方なのですが、人から聞いたり本を読んだりしてこの人のことを知れば知るほど、男も女も惚れる人だったのだろうとわかる。

いつもオープンでありながら、迎合することを嫌い、「あ」と思ったらすぐに立ち上がり、そして、情熱をもっていた人なのだと思う。さらにいえば、ラグビーから学んだことをラグビーだけにとじこめておかず、あらゆるスポーツや社会とつなげて考えられていたんじゃないか、とぼくは思う。

ヘタクソなりに人を育てたり、チームをつくったりしている身として、あらためて最近、羽生善治さんや山中伸弥先生などあらゆる分野のトップの人たちから尊敬される平尾さんの本を読んでいるのだけれど、やっぱり、「あぁ、こうでありたい」と思うところがたくさんあるのです。

なかでも、「あぁ‥‥!」と思ったのが、

ひとりはみんなのために。
みんなはひとつのために。

という一文。

世の中のあちこちに「one for all all for one」という言葉の翻訳文はあふれているけれども、まさか、さいごのoneを「ひとり」じゃなくて「ひとつ」と訳しているとは。たしかに、そのほうが、より強いチームをつくるうえでも、教育的にも必要なことかもしれない。

「ひとり」のために「みんな」が助けてあげているような組織は、「ひとり」の力が最大限に発揮されていないので弱く、「ひとつ」の目的や大義に向かって「みんな」が向かっていく組織こそが強いんだよ、と、たった1文字のちがいで伝えているように思うのです。

平尾さんは、著書のなかでもたびたび「言葉の大切さ」を説かれてますが、やっぱり、ものすごく言葉にこだわってたのだろう。いや、もっといえば、コミュニケーションにこだわっていたようにみえる。

ピッチャーがマウンドに立っているときのように、とにかくバッターをよく観察して、相手のことをできるだけ理解して、どんな球(言葉)をどんな速度(話しかた)で投げればいいのかを考えていたのだと思う(ん、それは、キャッチャーの役割‥‥?)。

いわゆる「コミュニケーション力の高い人」っていうのは、受け手と送り手を往復している人。平尾さんの言葉を読んでいると、そんなことを思います。


(たしかに、よしたに。)

「愛し合ってるかい?」と歌う人について。

・たとえば、学生ではあるけれどプロ棋士の藤井四段は、1日のどれくらいの時間を将棋につかっているのだろう。それを「働きすぎ」と止められる人はいるだろうか。

仕事と死生観がつながる時代になっている。今こそ赤塚不二夫さんの「これでいいのだ」の思想が必要になっているんじゃないか。はじめに「死生」があり、その上に「人生」があり、その上に「家族」があり、その上に「仕事」がある。「仕事」は、決して最上位の概念じゃない。

小林麻央さんの死から、ずっと命について考えている。じぶんの命は、じぶんだけのものじゃないということ。亡くなっていったご先祖さまたちがつないでくれた命のバトンを受けて、いまここに生きているということ。歴史上に、じふんは、じぶんひとりしかいないということ。なんのために、じぶんの命を使うのかということ。じぶんの命は、じぶんだけのものじゃないということ。

・はじまりからおわるのではなく、おわりから、はじまる。死ぬために生きるのではなく、生きるために死ぬ。逆説的だけれど、これこそが、本質的なのかもしれない。

死ぬときにのこるのは、どれだけ偉かったとか、どれだけお金をたくさん持っていたとか、そんなことじゃなくて、その人自身の「人柄」、その人の「命」であるように思う。

「なにで憶えられたいか?」という問いを、ドラッカーが本に書いていたっけ。そして、キヨシローは歌ってた。「愛し合ってるかい?」と。


(たしかに、よしたに。)

じぶんの能力を発揮する人について。


後輩であり親しい友人でもあるラグビー選手の布巻峻介シュラスコを食べながら、ぼくの教えている高校ラグビー部の話題になった。

 

布巻

「学院(ラグビー部)はどうですか?」

 

ぼく

「おぉ、ちょっと、このビデオを観て」

 

(先週末の試合のビデオを見せる)

 

ぼく

「課題だと思ってるのが、チームでディフェンスできていないんだよね。敵と1対1の状況でタックルをしちゃっていて‥‥」

 

布巻

「(ビデオを観ながら)ディフェンスをつづけて、しんどくなればなるほど、横の人と話したり、顔を合わせたりできなくなってますね」

 

ぼく

「うん、うん」

 

布巻

「アタックなら、ズバ抜けた能力があれば、ひとりでトライまでいけるかもしれません。でも、ディフェンスは、かならずチームでやらないと止められません。そのためには、まず、『ひとりひとりが、じぶんの、そして味方の役割を明確に理解していること』が大事だと思います。ボールだけ見てたらダメです」

 

ぼく

「あぁ、たしかに(よしたに)」

 

布巻

「どんなにスキルがあっても、人とつながれなかったらダメですからね。やっぱり、いい選手はみんな、周りの人とつながっていて、じぶんのスキルを発揮できていると思います。つまり、コミュニケーションスキルのレベルが高いんです」

 

ぼく

「人とつながることで、スキルが発揮される。なるほど」

 

布巻

「ここのところ、ぼくが大事だなと思っているのが、『聞くこと』なんです。ぼくはもともと、声を出して『発信すること』に意識を向けていたんですが、それだけじゃなくて、両どなりの人の声を聞こうとする姿勢を大事にするようにしています」

 

ぼく

「話すより、まずは、聞くこと」

 

布巻

「はい。聞こう、っていう姿勢がないと、となりの人がどんなに大きな声で呼びかけていても、まったく耳に入ってこないんです。でも、聞く姿勢があれば、普段の声の大きさでもちゃんとコミュニケーションがとれますから」

 

ぼく

「なるほどなぁ。ふだんのコミュニケーションでも大切なことだね」

 

布巻

「あと、学院の子たちは、じぶんたちより強い相手がアタックしてくるのを必死にディフェンスしなきゃ、っていうメンタルなのかもしれません。目の前の相手を止めるのに必死になってしまうがゆえに。『オレたちのチームディフェンスを突破できるもんならやってみろ』くらいの余裕をもつのが大事だと思います」

 

ぼく

「たしかに、格上の相手と対峙するときほど、『守らなくちゃ』ってあせってしまうがゆえに、じぶんの世界に入ってしまって、余裕がなくなっちゃうのかもね」

 

布巻

ニュージーランド代表のダミアン・マッケンジー(177cm 78kgと超小柄ながら世界トップクラスの名選手)がすごいのは、『いつも80%で走っていること』だと思うんです。20%の余裕があるから、パスもキックの選択肢があって、ディフェンスするこっちは迷って足が止まっちゃう」

 

ぼく

「はぁーーー」

 

布巻

「で、その瞬間に100%になって抜けていく。いつも100%で走ってる人なら、120kgの大男でも、コンタクトする瞬間にこっちが先にトップスピードになれば止められますが、余裕のある人は止めにくいですね」

 

ぼく

「でも、それは、80%でも足が超速い人、ってことでもあるね(笑)」

 

布巻

「いや、そうなんですけど(笑)」

 

‥‥と、まぁ、こんな感じで、焼きパイナップルとブラジルプリンを食べながら、ラグビーのことにはじまり、それだけにとどまらないような示唆に富んだ話をして、今日も解散したのでした。

 

(たしかに、よしたに。)

 

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▲「このプリン、ばりうまい!」(布巻)

隣人を愛する人について。

 

Instagramに写真を投稿するOLも、大きな口を開けてワーワー泣く赤ちゃんも、なんだかやる気のない困った若手社員も、詩や音楽や絵を創造しつづけてきた芸術家たちも、世界になにかを発信してる人たちというのは、せんじつめていっちゃえば、

 

「オレのことわかってくれよぅ!」

 

なんじゃないか。

だから、「いいね!」(あなたに共感したわよ)って通知がくると、「わかってもらえたぁー!」って、うれしくなる。

人はみんなわかってほしい。だから、「汝、隣人を愛せよ」ということばが、2000年くらい前から、ずーーーっと世界中で愛されてるんだと思う。

「傾聴」とか「リスペクト」も、「汝、隣人を愛せよ」という豊かなメッセージに包まれているように思う。だって、「隣人」ってナンジャソレ。「家族」でも「親友」でも「友人」でもない、ものすごく嫌いな人かもしれないのに、「そいつも愛しちゃおうぜ」です。

で、愛しちゃうもんだから、愛されちゃう。よく小学校とかで教室がうるさくて、先生が「静かにしなさーい!」って言うけれど、あれは、あんまり効果はなくて、反対に、先生が、

 

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 

って沈黙すると、あらふしぎ、教室は静かになる(ついでに「静かになるまで1分かかりました」とかいう)。つまり、「黙らせたいときは、じぶんが黙る」っていうのが、いちばん効果があるんだ。

人間は、みんな「わかってほしい」。だから、まずは「わかってあげる」。そのために必要な精神は「汝、隣人を愛せよ」ということなのか。

あと、よく聞く「マネジメントには傾聴を心がけよ」ということばの落とし穴は、「聴くだけじゃがっかりさせちゃう」ってところだと思うんです。「うんうんうんうん」とあいづちをして、傾聴する「態度」だけ見せちゃうと、「まずは部下への理解を示して、それからじぶんの言うことを理解してもらうため」とか「とにかく気持ちをしずめてもらうため」の傾聴になっちゃうことがある。そうすると、聴いたはいいんだけど、そのあと、その「傾聴した話」をふまえてなにかアクションがないときに、「あれは聴いたフリだったのかよ!」となりかねないんだよなぁ。

「傾聴」は、態度のことじゃない。こころの表現のひとつだ。だから、あらためて、「汝、隣人を愛せよ」ってことなんだよなぁ。それはそうと、ぼくが高校ラグビー部のチームを指導していて大事にしているのは「傾聴」よりも「観察」かもしれません。

 

(たしかに、よしたに。)

初めてラグビーを観に行く人について。

あんまりラグビーを観に行かない人を連れて、ラグビーを観に行くと、申し訳ないきもちになることがある。

その日は、朝から雨が降っていた。14時のキックオフに間に合うように、お昼すぎに家人と自宅を出た。これから、「サンウルブズ vs. ブルズ」の試合を観に行くのだ。

「お昼ごはん、食べてからいく?なにか買って食べながら観る?」という話になって、そっちのほうがたのしいだろう、という理由で、「食べながら観る」ことにした。

外苑前駅に着いた。「秩父宮ラグビー場」は、あたかも埼玉県にありそうなのに東京・青山にある。スタジアムまでは、地下鉄から地上に出て歩いて3分ほど。試合の当日は、会場までの通りの飲食店が、「観戦する人たち」のために食べものを用意している。

なにか食べたいものはないか、と奥さんとキョロキョロしてみるけれど、「揚げもの」と「焼きそば」しかない。あぁ、あそこは中華料理屋だから、お弁当のチャーハンとかあるかもしれない、と思ったけれど、やっぱり、「揚げもの」と「焼きそば」しかない。

「お米、食べたいね」と、顔を見合わせる。コンビニのおにぎりは食べないようにしているのと、朝にパンを食べたから、それ以外のもの、と考えていたこともあったけれど、なかなか、「食べたいもの」に出合えない。

油たっぷりで具の少ない「焼きそば」と「揚げもの」は、やっぱりイヤだ、ということで、けっきょく、「ベローチェ」のサンドイッチとコーヒーを買って、会場に向かった。で、会場にも売店があったのだけれど、やっぱり、「ちゃいろの食べもの」がメインだった。

ぼくたちは自由席だったので、雨に濡れない屋根のある席を探した。「南スタンド」というトライをするのが目の前に見えるところに屋根があるので、そこに座った。

すると、どうだ。すぐうしろに大きなスピーカーがあって、となりの人と話すのもタイヘンなくらいの大音量でノリノリのBGMが鳴っていた。たぶん、会場全体に響かせるためのスピーカーが、ここにしか設置していないのだろう。だから、大音量になっていたのだと思う。DJの女性が両手を上下に動かして会場を煽っていたけれど、その手の動きのように、ボリュームを下げてほしい、と思った。

試合がはじまってしばらくして、「トイレに行きたい」と、うちの奥さんが言った。ぼくは、「雨に濡れないで行けるトイレはあるかな」とか「どっちのトイレのほうが近いのかな」とか「洋式トイレがあるのはどこなのかな」と、ふだんここに来ない人が困らないように考えたけれど、正直いって詳しくないので、「あっちに歩いていったほうにトイレがあるのは知ってるよ」とだけ伝えた。

けっこう長い時間が経って、やっとトイレから帰ってきた。どうやら、トイレのあるエリアに行くのには「チケットの半券」が必要だったらしくて、「雨の中なのでなんとかなりませんか」と交渉していたんだとか。

もどってきて、ベローチェのサンドイッチを食べながら、試合観戦をつづける。反則が起きた。会場の大型スクリーンに「ルール解説」が表示される。「ラックの中にあるボールを手で扱うこと‥‥」という解説文を読んで、「ねぇ、『ラック』ってなに?」と家人が言う。うん、ごめん。ごもっともだよね。

 

‥‥と、試合がはじまって20分くらいまでに起きたことを、いくつか書いた。ぼくが思ったのは、「人がうれしいことってなんだろう?」ということ。

ダイエット中の女性や妊婦さんにとっては、「右に300m歩けば授乳室付きの洋式トイレがあります」という張り紙が会場に張ってあるだとか、「ちゃいろ」じゃない食べものが売っていることかもしれない。こどもたちにとっては、「会場に着いたら試合前にラグビー選手とパスしたり、持ち上げられたりすること」かもしれない。初めてラグビースタジアムに来た人にとっては、「わかりやすいルール解説がスクリーンに表示されること」や思わず買いたくなるような「そこに参加した証」になる質のいいグッズを買うことかもしれない。

「有名なアーティストを呼ぶ」とか「大音量のスピーカー機器とDJを入れて若者向けの音楽を流す」のも、もちろんいい。けれど、こういう「お金のかかること」だけが、「新しい取り組み」とは限らない。こういう、ちょっと手間はかかるけれど、「来た人にとってうれしいこと」って、ちょっと考えるだけでも、けっこうあるような気がする。

なによりも、初めてラグビースタジアムに来た人にとって「じぶんがいてもいいんだ」っていう自己肯定感をあたえることが、大事なんじゃないかと思う。2020年の東京オリンピックまでには、「相手がうれしい」っていう、ほんとうの意味での「おもてなし」が根づいてるといいなぁ。

日本全国にこれだけコンビニがあるのは、「うれしいこと」を積み重ねてきたからだと思うんです。「便利な」という意味の「コンビニエンス」ということばが付いているおかげで、カップ麺を売るだけじゃなくてお湯もサービスしようと考えたしし、公共料金の支払いもできるし、荷物だって送れちゃう。「オレたちってなんだっけ?」の問いに、「便利なことをサービスしようぜ」という豊かな答えがあって、「うれしさ」や「よろこび」になっているんだと思う。

「うれしいこと」があって、「じぶんがいてもいいんだ」っていう自己肯定感を得られた場所には、「また行きたい」って思うもの。と、思うんです。

 

(たしかに、よしたに。)

パスを送る人と受ける人について。

この時期になると、ぼくの指導している高校ラグビー部に、「新入部員」がやってきます。ほとんどが、中学までは野球とかサッカーとかテニスとかをやっていた子たちなので、まずは基本スキルである「パス」から教えなきゃなりません。

ラグビーの指導の現場では、「パス」を教えるときに、「キャッチ」の練習をします。いま、「一般的には」という感じで書きましたが、すみません、ぼくは、まず「キャッチ」から教えています。

ラグビーボールは、みなさんご存知のとおり楕円球ですので、球体をキャッチするのとちがって、つかみにくいんですね(そのぶん、「腕や胸に抱えながら走りやすい」とは思うのですが)。

で、いいパスをするためには、この楕円球の「芯」の部分をつかんで、さらに、「パスをするときの状態」でキャッチをするのが理想です。なぜなら、「キャッチしたらすぐに投げられる」から。ボールをキャッチしたあとに、パスをするための手の形に持ち替えていたら、パスをするのが遅くなってしまいます。

さらにいえば、「いいキャッチ」をするためには、自分から「パスをくれ!」とパスをくれる相手に声をかけておく、というのも、とても大事です。つまり、パスの送り手と受け手が、「おれは投げるぞ」「おれは受けるぞ」という「信頼」という名のコミュニケーションをしっかりとれているのが、ミスをなくすために、大事なことなのです。

「いいパスは、いいキャッチから。」「ボールを落とさないコツは、送る側と受ける側がお互いに共通の認識を持っていること」。これ、ラグビーに限らず、普段のコミュニケーションも、おんなじかもしれません。

それはそうと、職場でも部活でも、「新人がやってくる」というのは組織にとってすばらしいことだと実感しています。もともといた人たちが原点を見つめなおせますし、1年前は「新人」だった2年目たちが「お兄ちゃん・お姉ちゃん」の顔つきになるんですよね。

会社では新卒を採用するのは、「投資」の意味合いが強いけれど、ぜったいに「儲け」以外の果実を組織にもたらしてくれると思います。みんな、どこかの組織で、「なにもないじぶん」を育ててもらった人がほとんどですから、つぎはだれかを育てないと。

人間のカラダも、新陳代謝しなくちゃ、健康といえません。組織もおんなじだと思うです。

 

(たしかに、よしたに。)

変わらないために変わりつづける人について。

ルイ・ヴィトン
フラグメントデザインとコラボする。
さらに、いよいよ、ほんとうに、
シュプリームともコラボする。

ここまで聞いて「?」と
読むのをやめてしまった人は、
もうこの文章を読んでいないので、
話をつづけさせていただきたい。

シュプリームは、
1994年にニューヨークで生まれた、
生粋のスケーターブランドである。
放送禁止用語がTシャツに
「どーーーんっ」とプリントされている
「不良たち」に愛されるブランドだった。

それが、あの、
歴史と実績あるラグジュアリーブランド、
ルイ・ヴィトンさまとコラボレーション。

いわば、窪塚洋介秋篠宮佳子さまが
結婚したようなものである。

いまの時代、
「それまでのイメージ」に固執するような
「伝統を守るんだ!」でなく、
「市場はなにをよろこぶのか?」を考えて
伝統を守るのが大事なんじゃないか。

変わらないために、
変わりつづけるんです。

とは、創業111年の
株式会社竹村コーポレーション、
今福社長(38歳)のことばでありますが、
「社内事情」や「業界」を見ずに、
あくまで「顧客」と「市場」を見て、
それを生み出し、広げていく。

「クリエイティブ」っていうのは、
そういうことのような気がしている。


(たしかに、よしたに。)

インタビューを受ける人について。

「お供え物がヤクルトから
    ビールになりました。
    いつも見守っていてくれて
    ありがとうねって伝えました」

1月17日。
原宿にある定食屋で
サバの味噌煮を食べていたら、
こんなことばがテレビから流れてきた。

当時1歳だった孫を亡くしたおばあちゃんの
インタビュー映像だった。

このおばあちゃんにとって、
1歳だった孫がどんな存在であったのか、
いま、どんなきもちで暮らしているのか、
どれくらいの月日が過ぎているのか‥‥

このひとことに、
それらすべてが表現されていて、
多くの人の共感を生むことばだと思った。

どんな小説家やコピーライターが、
「気の利いたことば」を書いても、
「ほんとうに思っていること」には、
絶対にかなわないなぁと思った。

おばあちゃん、
心を揺さぶることばを
ありがとうございました。

ひ孫の顔を見るまで、
長生きしてくださいね。

ご冥福をお祈りいたします。


(たしかに、よしたに。)