見知らぬ人に挨拶しつづける人について。
羽田圭介。
この名前をみてピンとくる方、
いらっしゃいますか。
芥川賞の「もうひとり」です。
彼に想いを馳せる日々です。
ちなみに、うちの母が電話で
「ピースまたきちって芸人さんなの?」
と言っていました。
* * * *
つい先日、大阪に本社のある
クライアント先へ出張に行った。
その企業は新大阪駅の
めのまえの大きなビルのなかに
入っていていた。
ビルのエレベーター手前には
天井まである大きな自動ドアがあって、
出入口には警備員が立っていた。
60歳くらいだろうか。
背中の曲がった男性である。
彼の横を、スーツを着た
サラリーマンたちが
勢いよくすれちがっていく。
その男性は、自分を通りすぎる
ひとりひとりに小さな挨拶をしていた。
もちろん、先を急ぐ人たちには、
彼の姿など目にも入っていないのだろう。
だれも会釈には応じていない。
ふと、想像してしまった。
その小柄な警備員の男性が、
自分の父親にみえたのだ。
たまたま入ったビルで、
ビルの警備員をしている父。
たくさんの人たちに挨拶をしている。
けれど、だれの目にも映っていない。
かのようにみえる。
うーむ‥‥
その日は、社長相手の
大きなプレゼンだったので、
この猛暑に東京からスーツを着て
すこし気合いを入れて来ていた。
13時のアポイントまで
まだ15分あった。
ネクタイを締め直すために、
トイレに行こうとその警備員のもとへ。
「スイマセン、お手洗いはありますか」
「あぁ、はい!その奥の左手にございます」
御礼を言ってトイレへ向かう途中、
ビル内のモスバーガーがあった。
お店のまえに大きな広告ポスターがあり、
「モフ、バーガー」に見えた。ホントに。
これは、どうでもいい余談です。
トイレからもどってきて、
一緒にプレゼンに臨むメンバーたちと
エレベーターへ向かう。
その警備員の男性とすれちがう瞬間、
「ありがとうございました」と言った。
そうしたら、しわしわの笑顔で、
「いってらっしゃいませ」
と言ってくださった。
その日のプレゼンは大成功だった。
それとこれとは関係ないかもしれない。
でも、たしかに勇気をもらった。
これまで、実にたくさんの
「はたらく人たち」を取材してきた。
建設業界、IT業界、エンジニア業界、
自動車メーカーの社長・社員たち、
スポーツ業界、地方のモノづくり職人、
ベンチャー企業の社長たち、
老人介護施設の所長、パチンコ屋の店長、
ネット印刷会社、産業廃棄物会社の社長、
東北のために活動をつづけるミュージシャン‥‥
まだまだ挙げればキリはない。
おそらく600人くらい‥‥?
新入社員だろうが、社長だろうが、
どんな業界だろうが、どんな職種だろうが、
どんな給料だろうとも。
自分の仕事に誇りをもっている人は、
まちがいなくカッコイイと思う。
「なんのために仕事してるかわからない」
そう思うときは、だれにでもあるだろう。
でも、取材のときに「仕事のやりがいは?」
と聞くと、異口同音にほとんどの人は、
「ありがとうと言ってもらえたとき」と言う。
はたらく、とは、そういうことなんだと思う。
* * * *
大阪に来ておもったこと、その1。
ふつうに分煙なしで
タバコの吸える飲食店が多い。
大阪に来ておもったこと、その2。
道を教えてくれる人がていねい。
おとなしそうな女性が、
「んもう嘘やろ、ってくらい
真っ直ぐ進んでください」と教えてくれた。
大阪に来て思ったこと、その3。
ビル受付の警備員の挨拶を
平気で無視する人にはなりたくない。
(たしかに、よしたに。)
「どうでもいいけどさ」と言う人について。
どうでもいいことを書こうと思う。
しかも、3つも書こうと思っている。
「どうでもいいわ!」とツっこまれても、
「だから言ったじゃないですか」と、
冷静沈着にお答えしたいと思う。
まるで弁護士・北村晴男のように。
・「クマ太郎」というキャラクターの
LINEスタンプをここ1年近く愛用している。
小学生が2秒で壁に描いたような
クマの子どものキャラクターで、
なんともいえない、ゆる~いセリフや
ゆる~いポーズがとにかく愛らしいのだ。
そのクマ太郎、
じわじわと人気を集めているのか、
あるとき、「クマ太郎2」がでた。
そして、その勢いはとまらず、
なんといよいよ「クマ太郎3」まで。
もちろん、クマ太郎が「推しメン」の
ぼくとしては、握手券がなくても迷わず購入。
平穏なクマ太郎ライフを過ごしていた。
ところが、あるとき。
なんと、クマ太郎の「母親」キャラが
登場したとかしないとか、噂を聞いた。
クマ太郎の母親キャラ‥‥
気になりはじめると夜も眠れず、
どれどれ、とスタンプショップで
検索してみた。
いた。
「ママ太郎」
ええぇぇぇぇえええ!
「クマ」は?!
クマ太郎というネーミングの文脈で考えれば、
そこは「クマママ」か「クマ母」でしょ‥‥。
「クマ」をそのまま「ママ」にすれば、
たしかに声に出しやすいのはまちがいない。
でも、そんなふうに「音」を優先させて、
母も「太郎」にしてしまったそのセンスこそが、
クマ太郎のいいところなのだろう。
・とある海外作家の書いた翻訳本を読もうと
1ページ目をめくったら、
まっしろのページに真ん中に一行だけ、
こう書いてあった。
「本書を二人の娘、アンとエレンに捧げる」
このページは必要なのだろうか。
「家族を大切にすると言っているのに、
お父さんときたら、朝から晩まで
本ばっかり書いているから
せめて完成した本は大事な
娘のために書いていたことにしよう」
‥‥と勘ぐってしまう私はイジワルか。
アンとエレン、うれしいのかな。
ふたりが何歳か知りませんが、
400ページくらいある経営書です。
ほんとうに捧げてるのかなぁ。
・これまでの人生、ずーーっと、
勘違いして生きていました。(ホント)
七人の侍の人って、ずいぶんと長生きして
いまでは刑事ドラマとか出ちゃうんだ。
っへぇーーー、と思っていました。
以上です。
どうでもよかったですか。
そうですか。失礼いたしました。
(たしかに、よしたに。)
「どうぞごらんくださいませ〜」と言う人について。
「あら、アナタも朝型なんですね」と言う人について。
とある出版社の社長の本を読んだ。
なんでも、彼は毎晩の会食があっても、
かならず2次会までは行かずに早く寝て、
早朝5時に起床しているのだという。
(「カラオケに行く奴は愚の骨頂」だそうです)
メールもこないし、電話も鳴らない。
タクシーへの不満が尽きない人について。
「実食!」「‥‥参りました」と言う人について。
2週間まえくらいだったでしょうか。
「食わず嫌い王決定戦」を
たまたまテレビで観ました。
(ずいぶんと「水」っぽいですね)
コーナーのあたまから観ていて、
1品ずつ「大好物」を食べていくわけですが、
‥‥わかるんです。
つまり、その、
「あ、この人、これ嫌いだな」
というのを食べた瞬間に感じました。
そして、やはり結果は、ぼくの予想どおり、
水谷豊さんは「ケジャン」が苦手で、
水原希子さんは「羊のチーズ」が苦手だった。
(水原さんの勝利でした)
たまたま今回だけかもしれません。
台本どおりかもしれません。
でも、ボーっと観ていましたが、
たしかな根拠のようなものがありました。
それは、
「美味しそうに食べていた」
ということ。
(俳優・女優さんだから? )
嫌いなものを食べるから、
それを隠すためにすこしだけ「嘘」をつく。
マイナスだったものを0にすればいいのに、
それ(苦手であること)を意識しすぎて、
0ではなくプラスになってしまう。
こういうこと、普段の生活でもある。
話はすこしだけ変わりますが、
昔、どこかで聞いたこんな話。
「あなたの強みはなんですか?」と
ある人に尋ねたとき、
みずから答えたその「強み」は、
実はその人にとっての「弱み」である、と。
逆説的で「ホンマかいな」なのですが、
ぼくは、わりとその通りだと思っています。
たとえば、かのイチロー選手に
「野球におけるあなたの強みは?」と訊くと、
ぼくたちは「足が速い」とか
「肩が強い」とか「打撃がうまい」
という答えを期待するかもしれない。
でも、本人にとっては
そんなの「あたりまえ」すぎて、
もっと意識的に克服しようとしている、
「日々のコンディショニング能力」と
答えるかもしれないということ。
‥‥あれ。わかりづらいですか。笑
もっとストレートに表現すると、
あんまりお金を持っていない人ほど、
「お金があるように見せる」し、
あんまり若くて綺麗じゃない人ほど、
「ワタシって若くて綺麗でしょ」と
アピールする傾向がある、ということ。
今のじぶんに100%満足している人なんて、
そうそういないと思います。
だからこそ、実際のじぶんとはちがうけど、
「こう見られたい」という欲がわいてくる。
「食わず嫌い王決定戦」を観ながら、
そんなことを考えていました。
それはさておき、このコーナー、
「王決定戦」というわりには、
いつ「王者」が決まるのでしょう?
『笑点』の「座布団」とおんなじで、
とくに枚数(1位決定)には興味がない、
ということなのかなー。
(たしかに、よしたに。)
メッセージ系アプリが多すぎる人について。
iPhoneのアプリをながめてみる。
「LINE」
「メール」
「Gmail」
「メッセージ」
「メッセンジャー」
どんだけ「メッセージ系」あるのよ。
ほかにも、Twitterのメッセージや
会社のチャットメッセージなども、
ある人にはあるのだと思います。
ちょっと多すぎやしませんかね。
いろんな人と、いろんなところで
やりとりをしすぎじゃないですかね。
しかも、あるところでは
必ず一行目に名前を書いて、
さらに「様」までつけたり。
(「お世話になっております」も)
あるところでは、
スタンプが怒濤のように押されたり。
あるところでは、
ほとんど意味を成さない
「★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆」
こんな「署名」があったり。
どこかの経路を断ってしまうか、
もしくは、もうそろそろ、
一元化することはできませんかねぇ‥‥?
LINEやキャリアメールもすべて1つのアプリで。
これらのアプリをそこでログインして、
そこから閲覧、返信できるプラットフォーム。
システム的にはむずかしくないように
思えるのですが、どうなんでしょう。
「もうすでにあるんじゃない?」
という声が聞こえてくるのですが、
iOSにも対応していて、
SNSだけじゃなくて‥‥とかで調べると、
あんがい、ないんですよねぇ。
(存在していたらぜひ教えてください!)
キーボードのスタンプや絵文字は
どうやって統一するんだ、とか、
オトナの権利の問題とかあるのかもしれません。
でも、ニーズはあると思うんですよね。
どなたか、天才的なプログラマーや
エンジニアの方がたまたまこれを見ていて、
「つくったよ〜」と連絡がくれば本望です。
(たしかに、よしたに。)
『セッション』する人について。
『セッション』という映画を観た。
ところで(いきなりですが)、
ぼくには、映画を観ているときならではの
「クセ」みたいなものがある。
「どうしてこの映画をつくったんだろう?」
この問いの答えを、常に考えてしまう。
本を読んだり、音楽を聴いたりするときは、
ほとんどそんなこと考えていない(と思う)。
なのに、映画を観ているときだけ、
「これをつくろうと思った動機はなんだろう」
「伝えたかったことはなんだろう」
と考えながらストーリーを追ってしまうのだ。
雑誌などの監督のインタビューで
「正解」を知ることができるかもしれない。
でも、あまりそれを知ろうと思わない。
ただ「自分の考え」を知りたいのだろう。
もうひとつ、クセがある。
映画を観ていると「ことば」が浮かんでくる。
その「ことば」は、
その映画を象徴するひとことだったり、
自分が受け取ったメッセージだったり。
これは、「考えている」というより、
自然と頭に「浮かんでくる」ことが多い。
たとえば、
『ショーシャンクの空に』なら、
<ナレッジ・イズ・パワー>だった。
『ベイマックス』なら、
<学校に行くということ>だった。
さぁ、やっとこさ話をもどして、
『セッション』という映画について。
この作品を観ながら考えていた、
「どうしてこの映画をつくったんだろう」
という自問への答えは、
<どうしてもつくりたかったんだろうな>
という、みもふたもないものになった。
そして、作品からのメッセージ
(頭に浮かんできたキーワード)は、
<たのしめてるか?>だった。
ほかにも、
「才能を引き出すのは本人か?他人か?」とか、
「主体性を生むのは強制からなのか?」とか、
「成長を阻むものはいつもプライドだな」とか、
いろいろなことを考えていたけれど、
「ヘイ、みんな!寝食を忘れるくらい
なにかに夢中になってるか?
俺は映画づくりさ!」
そんなふうに、つくり手(監督)と
セッションしてる気分だった。
(たしかに、よしたに。)
自分の名前を連呼する人について。
さぁ、やってきた。
休日の朝から拡声器を使って
大声で自分の名前を連呼する人々が
あちこちで現れる季節。
そう、「選挙」である。
都内では選挙カーがワーワー騒ぎ立てていて、
たしかにすこしイラっとするときもあります。
しかし、彼ら(彼女ら)も、ある意味では、
「就活生」なんですよね。
リクルートスーツを着て、
スタバでヨーグルトフラペチーノを
飲みながら業界研究している
けなげな女子大生だとおもえば、
「ファイト!」と言いたくなります。
けれど、あまりにも、
自分の名前を連呼する立候補者の多いこと。
「どうせ立ち止まって
じっくり聞いてもらえない」
と、タカをくくっているのかな。
「名前だけ覚えてもらおう」
と、一点突破の発想なのかな。
「私はきょうもココで活動しています」
と、それだけ伝わればいいのかな。
なんであれ、
企業への就職活動だとしたら、
そうはいかないだろう。
面接官「では、自己PRをお願いします」
よ・し・た・に・です!」
5秒で面接終了だろう。
選挙と就職活動はちがうものだけれど、
もっと「自分の考え」を話すことを
大切にすべきじゃないだろうか。
あと、選挙の時期にいつも思うのは、
あれだけ「お願いします!」と言っていた
候補者たちが、選挙がおわると
ピタっと姿を見せなくなるのは、
おこづかいがほしいときだけ、
お母さんの言うことを素直に聞いて、
お金をもらえたら遊びに行ってしまう
小学生のようだなぁ、ということ。
たとえ落選しても、当選しても、
「御礼」の街頭演説ができるような
仕組みにしたらどうでしょうか。
すくなくとも、ぼくは、
そういう候補者に投票したい。
(たしかに、よしたに。)
「なかなかボタンを押せなくて」と言う人について。
ぼくのことである。
このブログに投稿した文章は、
26日まえのものが最後となっている。
途中まで書けている記事、
ほぼ完成している記事のドラフトは
evernoteに6つほどある。
では、どうして「投稿ボタン」を
押すまでに至らないのか。
それは、「ビビっている」から。
「ライター」とつく仕事をしているとか、
(誤字脱字はないか‥‥?ヘタじゃないか‥‥?)
もしもこれをクライアントが読んだらとか
(だれも傷つけていないだろうか‥‥?)。
書いているときはアクセルを踏むけれど、
いざ「投稿」というところまでくると、
いろいろ考えてブレーキをかけてしまう。
なかでも、4/1に書いていた
「新社会人のみなさんへ」
という記事は来年までお蔵入りだろう。
‥‥と、テキトーに書いているうちに、
これで1記事できて、安心しています。
なにごとも、「さぁやるぞ」と
机に向かって気合いを入れようとするより、
「いつのまにか、はじまっていた」くらいが
ちょうどいいものですね。
こんな感じで、内容はともかく、
じぶんの頭の整理のためにも、
なるべくマメに書いていこうと思います。
実は、なにも書いていなくても、
1日に60人くらい誰かがここを
訪れてくださっていますので‥‥。
(誰なのかわかりませんが感謝です)
さいごに、自分の備忘録のために、
ここ1ヶ月ほどで読んだ本を記しておきます。
*読んだ時系列順にしました。
こうして見ると、自分がそのとき、
何に興味を持っていたのかわかりますね。
『How Google Works』エリック・シュミット
『GO WILD』ジョン・J・レイティ
『街場の戦争論』内田樹
『作家の愛したホテル』伊集院静
『インターネット的』糸井重里
『知ろうとすること。』糸井重里・早野龍五
『思考のレッスン』丸谷才一
『投資家がお金よりも大切にしていること』藤野英人
『低予算でもなぜ強い?湘南ベルマーレと日本サッカーの現在地』戸塚啓
『コンサル100年史』並木裕太
『新しいお金術』松浦弥太郎
『近くて遠いこの身体』平尾剛
ほかにも、手元になくて忘れたもの、
本屋でさらっと読んだものがありますが、
よく覚えているのはこのあたりです。
雑誌は、『BLUTUS』などのカルチャー誌から、
『暮らしの手帖』まで、幅広く読んでいます。
とくに人にオススメしたいのは、
・『思考のレッスン』
・『投資家がお金よりも大切にしていること』
でしょうか。
・『低予算でもなぜ強い?湘南ベルマーレと日本サッカーの現在地』
・『コンサル100年史』
この2冊については、
冒頭の「投稿していない記事」の1つに
読んだあとの感想のようなものを書いています。
いつか投稿ボタンを押したいと思います。
おわかりのように、今回は、
とくに「たしかに!」ポイントが
ありませんでした。
(たしかに、よしたに。)