たしかに、よしたに。

あんな人やこんな人について、考えたことを書きます。すこしでも「たしかに」となりますように。

初めてラグビーを観に行く人について。

あんまりラグビーを観に行かない人を連れて、ラグビーを観に行くと、申し訳ないきもちになることがある。

その日は、朝から雨が降っていた。14時のキックオフに間に合うように、お昼すぎに家人と自宅を出た。これから、「サンウルブズ vs. ブルズ」の試合を観に行くのだ。

「お昼ごはん、食べてからいく?なにか買って食べながら観る?」という話になって、そっちのほうがたのしいだろう、という理由で、「食べながら観る」ことにした。

外苑前駅に着いた。「秩父宮ラグビー場」は、あたかも埼玉県にありそうなのに東京・青山にある。スタジアムまでは、地下鉄から地上に出て歩いて3分ほど。試合の当日は、会場までの通りの飲食店が、「観戦する人たち」のために食べものを用意している。

なにか食べたいものはないか、と奥さんとキョロキョロしてみるけれど、「揚げもの」と「焼きそば」しかない。あぁ、あそこは中華料理屋だから、お弁当のチャーハンとかあるかもしれない、と思ったけれど、やっぱり、「揚げもの」と「焼きそば」しかない。

「お米、食べたいね」と、顔を見合わせる。コンビニのおにぎりは食べないようにしているのと、朝にパンを食べたから、それ以外のもの、と考えていたこともあったけれど、なかなか、「食べたいもの」に出合えない。

油たっぷりで具の少ない「焼きそば」と「揚げもの」は、やっぱりイヤだ、ということで、けっきょく、「ベローチェ」のサンドイッチとコーヒーを買って、会場に向かった。で、会場にも売店があったのだけれど、やっぱり、「ちゃいろの食べもの」がメインだった。

ぼくたちは自由席だったので、雨に濡れない屋根のある席を探した。「南スタンド」というトライをするのが目の前に見えるところに屋根があるので、そこに座った。

すると、どうだ。すぐうしろに大きなスピーカーがあって、となりの人と話すのもタイヘンなくらいの大音量でノリノリのBGMが鳴っていた。たぶん、会場全体に響かせるためのスピーカーが、ここにしか設置していないのだろう。だから、大音量になっていたのだと思う。DJの女性が両手を上下に動かして会場を煽っていたけれど、その手の動きのように、ボリュームを下げてほしい、と思った。

試合がはじまってしばらくして、「トイレに行きたい」と、うちの奥さんが言った。ぼくは、「雨に濡れないで行けるトイレはあるかな」とか「どっちのトイレのほうが近いのかな」とか「洋式トイレがあるのはどこなのかな」と、ふだんここに来ない人が困らないように考えたけれど、正直いって詳しくないので、「あっちに歩いていったほうにトイレがあるのは知ってるよ」とだけ伝えた。

けっこう長い時間が経って、やっとトイレから帰ってきた。どうやら、トイレのあるエリアに行くのには「チケットの半券」が必要だったらしくて、「雨の中なのでなんとかなりませんか」と交渉していたんだとか。

もどってきて、ベローチェのサンドイッチを食べながら、試合観戦をつづける。反則が起きた。会場の大型スクリーンに「ルール解説」が表示される。「ラックの中にあるボールを手で扱うこと‥‥」という解説文を読んで、「ねぇ、『ラック』ってなに?」と家人が言う。うん、ごめん。ごもっともだよね。

 

‥‥と、試合がはじまって20分くらいまでに起きたことを、いくつか書いた。ぼくが思ったのは、「人がうれしいことってなんだろう?」ということ。

ダイエット中の女性や妊婦さんにとっては、「右に300m歩けば授乳室付きの洋式トイレがあります」という張り紙が会場に張ってあるだとか、「ちゃいろ」じゃない食べものが売っていることかもしれない。こどもたちにとっては、「会場に着いたら試合前にラグビー選手とパスしたり、持ち上げられたりすること」かもしれない。初めてラグビースタジアムに来た人にとっては、「わかりやすいルール解説がスクリーンに表示されること」や思わず買いたくなるような「そこに参加した証」になる質のいいグッズを買うことかもしれない。

「有名なアーティストを呼ぶ」とか「大音量のスピーカー機器とDJを入れて若者向けの音楽を流す」のも、もちろんいい。けれど、こういう「お金のかかること」だけが、「新しい取り組み」とは限らない。こういう、ちょっと手間はかかるけれど、「来た人にとってうれしいこと」って、ちょっと考えるだけでも、けっこうあるような気がする。

なによりも、初めてラグビースタジアムに来た人にとって「じぶんがいてもいいんだ」っていう自己肯定感をあたえることが、大事なんじゃないかと思う。2020年の東京オリンピックまでには、「相手がうれしい」っていう、ほんとうの意味での「おもてなし」が根づいてるといいなぁ。

日本全国にこれだけコンビニがあるのは、「うれしいこと」を積み重ねてきたからだと思うんです。「便利な」という意味の「コンビニエンス」ということばが付いているおかげで、カップ麺を売るだけじゃなくてお湯もサービスしようと考えたしし、公共料金の支払いもできるし、荷物だって送れちゃう。「オレたちってなんだっけ?」の問いに、「便利なことをサービスしようぜ」という豊かな答えがあって、「うれしさ」や「よろこび」になっているんだと思う。

「うれしいこと」があって、「じぶんがいてもいいんだ」っていう自己肯定感を得られた場所には、「また行きたい」って思うもの。と、思うんです。

 

(たしかに、よしたに。)