たしかに、よしたに。

あんな人やこんな人について、考えたことを書きます。すこしでも「たしかに」となりますように。

「キックオフ!釜石 8.19」のこと。

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ラグビーワールドカップ2019™における国内12会場で唯一の東北開催地である岩手県釜石市。ちいさな三陸沿岸のこの町は、2011年3月11日東日本大震災で大きな被害を受けました。それでも、このまちに希望をつくるために開催候補地に名乗りを上げて、スタジアム建設を決めたのです。地元をはじめ全国から応援してくださる人びとがひとつになり、8月19日、ついに「釜石鵜住居復興スタジアム」が完成しました。

そのオープニングイベントである「KICKOFF!KAMAISHI 8.19」、ほんっ‥‥とうに、よかった。 

とくに、こどもたちが歌ったり、踊ったり、スピーチしたりする姿をじっと見ながら、涙がこみ上げてきて仕方がなかった。「想い」が伝わってくというのでしょうか、こどもたちのピュアさやポジティブさに、胸を打たれたのだと思います。

「ワールドカップのあとの維持費をどーするんだっ!」と、悲観的にも、厭世的にもならずに、こどもたちはできることを一生懸命やってきたのでしょう。その歌声、その全身の表現、その言葉から、釜石というまちを盛り上げるために、世界中の人を受け入れるために がんばるんだ、という意志のようなものを感じました。希望のほうを見つめているその姿勢に、心を動かされたのだろうと思います。

あと、あのスタジアムの雰囲気は、きっと一生わすれられないだろうなぁ。人は、みんなちがう。だからこそ、誰かときもちが通じ合ったり、わかり合えたりするとうれしいものですが、あの日、あのスタジアムにいた人たちはみんな、おなじ思いで、ひとつになっていたように思うのです。その場をみんなが信じきっていた。人は多かったけれど、みんな心に余裕があったのでしょうね。

東京から釜石へ行くには、新幹線に3時間くらい乗って、そこから、さらによく鹿にぶつかって運転見合わせしてしまう釜石線に2時間ほど揺られて、やっとたどり着きます。8月19日のオープニングイベントは、人口3.5万人のまちに日本中からワァっと人がきていてホテルも足りていないので、みんな盛岡や新花巻あたりに泊まらなきゃいけません。ところが、それほど「不便」なところに、誰に頼まれたわけでもなく、自分からうれしそうにやって来た人たちなのだから、みんな「いい人」で「いい場」になったのでしょう、きっと。

* * * * 

ぼくは、今年の3月11日に初めて釜石を訪れて、それから今回をふくめて4回ほどスタジアムに足を運ばせていただいているのですが、これまでは大きな工事がすでにおわったせいなのか、スタジアムはとても静かでした。そのスタジアムに、音があふれている。人があふれている。笑顔があふれている。それだけでもう、胸にこみ上げてくるものがありました‥‥。

あの日、いろんな人に会えたことも、うれしかった要因のひとつだと思います。漫画の最終回に、これまで登場したキャラクターが次々に出てくるみたいに、日本ラグビー協会ラグビーワールドカップ組織委員会釜石シーウェイブスヤマハ発動機の選手やスタッフ、これまでラグビーを通じて出会った知人や友人‥‥「あぁ、あなたも釜石まで来ているのね!」という人たちに、あの場所でたくさん会えてうれしかった。

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さて、ここからは、写真で釜石との思い出を振り返っていきたいと思います。

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▲2018年3月11日、はじめて釜石に行った日です。行くことが決まったのは前日でした。ここは「宝来館」というスタジアムから近いところにある「浜べの料理宿」です。

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f:id:kangaeru_gorilla:20180822003835j:plain▲午後2時46分、サイレンの音とともに、みんなで祈りをこめた風船を空へ飛ばしました。

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▲「宝来館」の女将の岩崎さんです。天使のような笑顔。カリスマ的なリーダーシップ。そんな女将さんから、釜石のことをたくさん教えていただきました。「このスタジアムは、原っぱなんです。緑がたくさんある、原っぱ。そして、これから1000年つづく、原っぱ。8月19日は、1000年の1日目なんですよ!」(女将さんのお話より)

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▲はじめてスタジアムに行ったときです。この5ヶ月後には、あれだけ立派なものができているなんて。

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▲初釜石の旅は、オーストラリア代表で元釜石シーウェイブスのスコット・ファーディーも一緒でした。おどろくほど紳士的でやわらかく、ワールドカップニュージーランド代表と激闘していた人と思えないほどでした。

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▲ファーディーと小佐野小学校の紺野校長のお話を聞きに行きました。「震災のあと、こどもたちに話したことは3つ。みんなの命は、守られた命であるということ。大きな地震がきたら、とにかく高台へ逃げること。そして、ファーディーのような人を助けられるような人になること」(紺野校長のお話より)

f:id:kangaeru_gorilla:20180822004146j:plain大学ラグビー部のセンパイであるスポーツジャーナリストの松瀬学さんも、ずっと一緒でした。帰りの釜石線が事故で停まってしまって、振替輸送のタクシーも北陸新幹線もずっと一緒。たくさんご馳走さまでした。

f:id:kangaeru_gorilla:20180822005802j:plain▲これは2018年5月15日です。この日は、イベントの記者会見でした。まだ、「キックオフ!釜石 8.19」という言葉だけで、ロゴマークも「リポビタンD 釜石鵜住居復興スタジアム オープニングDAY」という大会名称もなかったときですね。

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▲こちらは5月28日、2回目の釜石です。この日は、ポスターやチラシ、ホームページで使う「ステートメント」を釜石市野田市長にプレゼンをするためにやってきて、そのあとスタジアムを見学させていただきました。野田市長は、いつも「市民のみなさんはなんて思うかなぁ‥‥」と釜石市民のことを考えてらっしゃいました。

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▲左の方は、今回の仕事のアートディレクターをお願いした窪田新さん。すばらしいロゴマークやデザインを生み出してくださった方です。初めて一緒に仕事をさせていただきましたが、ひとつひとつの仕事とていねいに向き合い、受け手の想いをとても大事にされる方で、窪田さんと釜石の仕事ができたことを誇りに思います。
右の方は、釜石市の長田剛さん。元ラガーマンです。いつもやさしくスタジアムを案内してくださったり、クルマで釜石駅まで送迎してくださったり、本当にお世話になりました。そして、なにより、ハートの熱い方です。長田さんに出会えたことも、うれしかったなぁ。

f:id:kangaeru_gorilla:20180822011645j:plain▲そして、3回目の釜石は8月1日。この笑顔のすてきな洞口留伊さんに会いに行ってきました。その数日前に、ワールドカップ組織委員会のGenさん(詳しくはのちほど)からこんなメッセージが。「釜石の高校生向けのプログラムに参加したときに、目をキラキラさせながら、『来年のワールドカップで私たち高校生にどんなことを期待していますか?』って質問をしてきた女の子がいて、この子なら釜石の明るい未来を表現できると直感的に思うのです」。ならば、彼女に試合直前の「キックオフ宣言」をやってもらおう、さらに、『岩手日報』の15段広告にメッセージ広告を出そう、となり‥‥それから1週間ほどのあいだで原稿づくり、撮影、デザイン、入稿などをみんなでやりとげました。釜石市の下村さん、浦城さんにたくさんお世話になりました。もちろん、この企画を実現させるために尽力してくださった方々がたくさんいます。この場を借りてあらためて、ありがとうございます。

f:id:kangaeru_gorilla:20180822012502j:plain▲スタジアムを実際に見て、感じたり思ったり考えたりする洞口さん。あ、右端には長田さんもいます。長田さんも「ルイちゃん、最高やな」と太鼓判を押していました。

さて、いよいよ、8月19日の当日です。

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ロゴマークがあちこちに!スタジアムの雰囲気にとてもなじんでいました。(旗の写真の撮影:窪田新さん)

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▲「ロゴマークの入った旗をつくって、そこに選手やゲストアーティストの方々、そして来場者のみなさんに想いを書いてもらおう」という企画も大正製薬さまのおかげで実現されました。

f:id:kangaeru_gorilla:20180822013933j:plain▲さぁ、いよいよ洞口さんの「キックオフ宣言」の直前です。これまで一緒にやってきたチームのみんなと笑顔で話してリラックスしていました。すごいなぁ。

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▲ドキドキドキ‥‥(洞口さんではなく、ぼくの心臓の音)

f:id:kangaeru_gorilla:20180822014150j:plain▲堂々と立派な、そして想いのこもったスピーチは、たくさんの人の心に伝わったと思います。これからも夢に向かってがんばってね、留伊ちゃん!

ちなみに、これが『岩手日報』の15段広告です。

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(アートディレクター:窪田新/撮影:川代大輔)*敬称略

おまけに、これが「ステートメント」を掲載したポスターとチラシです。

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このステートメントに書かせていただいた「それでも、希望を建てるんだ。」という想いは、果たして多くの人に伝わったのでしょうか‥‥「このスタジアムは、みんなの歓声で、完成する。」と実感してくれた人はいたのでしょうか‥‥。その答えはわからないけれど、これだけはハッキリと言えます。

 

わたしは、釜石が好きだ。
わたしは、ラグビーが好きだ。

 

(留伊ちゃんの『キックオフ宣言』の動画全編です、ぜひごらんください!)

 

www.youtube.com

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あと、この今回の「KICKOFF!KAMAISHI 8.19」のことを書く上で、忘れちゃアいけないのが「福島弦」という男についてです。「漢」と書くか、すこし迷いました。が、クレバーなご本人がイヤがりそうなので、「男」にしておきます。そして、ここからはいつも通り、「Genさん」と書きます。

Genさんはラグビーワールドカップ組織員会の方で、今回の釜石のイベント興行をほとんど取り仕切っていました。ぼくは、彼がサンウルブズの立ち上げを担当していたときからのお付き合いで、ラグビーワールドカップ2019™の大会キャッチコピーの仕事、そして、今回の釜石の仕事もご一緒させていただきました。この前代未聞のビッグイベントに臨むGenさんを半年ほど見ていて、「うまくいく人は、応援されている人」であり、「応援される人って、Genさんみたいな人だよなぁ」と、つくづく思わされたのです。

どんな人が「応援される人」なのか。それはまず、ありきたりかもしれないけれど、「素直な人が応援される」のだと思います。Genさんは、どんな人の声にもちゃんと耳を傾けられるし、いいと思ったら「いい!」と言ってくれる(もちろん、ちがうという時もハッキリと「ちがう!」と言ってくれる)。

あと、「ゴキゲンな人が応援される」のだと思います。Genさんは、誰に対してもフラットで、会うとかならず握手をしてくれます。そういう気さくな姿勢でいる人のほうが、批判や愚痴に熱心な人よりも、応援したくなるものだと思います。いつも夜遅くまで仕事をしていて、朝早くに起きているのに、ゴキゲンだなんて、すごい人ですまったく。

最後は、「がんばってる人が応援される」のだと思います。「がんばってる」というのはこわいもので、一歩まちがえると「おれはこんなにやってるのに」と不満や愚痴になることもあります。けれど、Genさんが愚痴をこぼしているのを見たことがありません。それは、「当事者」であるから、と思うのです。いくら批判や文句を言っても、なにも前に進まないことをわかっていて、まずは自分が手を挙げる。そんな姿勢をいつもGenさんからは感じます。そして、なによりも「アツい人」だからなぁ、Genさん。夢に熱いし、情に厚い。

8月19日のあの日、Genさんに「ありがとう」を伝えたい人がたくさんいたと思います。もちろん、ぼくもそのひとりです。Genさんのおかげで、釜石というまちにたくさんの知り合いができて、たくさんの思い出ができました。そして、自分にとってメモリアルな仕事ができました。‥‥という感謝の想いをその晩にメールしたら、すぐに「さぁ、次はなにをしようか!」と返ってきて、「Genさん半端ないって。余韻に浸らずもう次の方向見てるもん。そんなんできひんやん普通」と思いました。

それはそうと、Genさんは、もはや「釜石の人」になっていた(北海道生まれなのに)。ぼくを釜石に呼ぶときは「来る?」と言うし(東京・高輪台に住んでいるのに)、「ちょっと明日行ってくるわ」と、まるで恵比寿ガーデンプレイスに行く感覚で釜石に通っていました。

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追記なのですが、そのGenさんがこの記事を読んで、こんな感想を書いてシェアしてくれました。ぼくにとっても、この仕事はたくさんのことを気づかせてくれて、学ばせてくれて、おなじ想いをもつ仲間たちといっしょに仕事ができた夢のような仕事でした(そして、たくさんの人たちによろこんでもらえた仕事でした)。こちらこそ、心からの感謝を込めて。

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(たしかに、よしたに