たしかに、よしたに。

あんな人やこんな人について、考えたことを書きます。すこしでも「たしかに」となりますように。

山中亮平のあきらめなかった4年間のこと。

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これぞまさしく「3度目の正直」。2011年、2015年と日本代表でありながらワールドカップのメンバー入りのチャンスを逃しつづけた男がいる。その男は、初の自国開催でのラグビーワールドカップ2019の日本代表31名についに選ばれた。31歳での初出場である。

 

あらためて、前回ギリギリのところで選ばれなかったその日から、どうしてここまでたどり着けたのか、を本人に訊いてみた。

 

「あきらめなかったから、ちゃう?」

 

真剣なまなざしでそう語る山中亮平のことばは、ことばにするとありきたりだけれど、そこに無数の想いがぶら下がっていて、そうとうな重みを感じる。一方で、ワールドカップのメンバーに選ばれてから数日経ってから、彼はこんな話もしてくれた。

 

「『いま』のおれを見てくれる人がいないんだよね‥‥」

 

やまちゃん(山中亮平)には、「人に話したくなるストーリー」がある。若くして才能を開花。予期せぬ挫折。恩人の死去。そして、初のワールドカップ。「サクセスストーリー」としては完璧である。どうしても、彼の「過去」に注目したくなってしまう人びとのきもちは、よくわかる。

 

けれど、だ。もういいんじゃないか。8年も前の謹慎処分の話を引っぱりだすのは。やまちゃんは、素直でいい奴だから、どんな記者の質問にも、いつも真摯に答える。たとえそれが自分自身の記憶もおぼつかないほど振り返りたくない過去の話でも。そして、たしかに平尾誠二さんへの感謝は決して尽きないだろう。けれど、平尾さんが亡くなったからワールドカップに出たいと思ったのではなく、ラグビー選手としてワールドカップに出ることがずっと夢であり、前回大会の落選からこの4年間、その夢のためにがんばってきたのだ。

 

やまちゃんのこの4年間をカンタンに振り返ってみようじゃないか。

 

ワールドカップの翌年、2016年は「サンウルブズ」のメンバーに選ばれた。2017年はサンウルブズでも9試合くらい出場した。シーズン前には「トップリーグ選抜」としてサンウルブズと闘った。そのあと、怪我人が出てハリケーンズ戦から追加招集、けれどその年に日本代表メンバーには入らなかった。ついに2018年は、サンウルブズにも呼ばれなくなった。所属する神戸製鋼コベルコスティーラーズでアピールするしかなかった。そして、実際に活躍した。たまたま日本代表の同じポジションにけが人が出て、またまた追加招集。10月末の世界選抜戦と11月頭のニュージーランド戦に出場することができたものの、そのあとイングランド、ロシアという相手との試合ではメンバーから外れた。ワールドカップまでもう1年を切ったタイミングで。

 

ぼくらのような一般人ならば、ふつう、あきらめてもおかしくない。けれど、「まだチャンスがあるかもしれない」という希望が、いつも彼の目の前から消えない。 どんなつらい状況でも、この「希望」というものを、彼はいつも心に宿らせていた。

 

* * *

 

「この4年間でいちばん悩んだときは?」

 

そう尋ねると、「2018年の春」と答えてくれた。ワイルドそうに見せて、実はマメなところがあるやまちゃんは、常日頃から気づいたことや学んだことをメモに書き留めている。2018年の春、彼は「来年のワールドカップのメンバーに選ばれるための逆算」をしたという(ちなみに、大学時代、ダーツをやっていて「2」のダブルに矢が刺さったときに「アカン、9やぁ」と漏らしていたくらい計算は苦手な男だ)。

 

2019年8月、日本代表に選ばれる

2019年6月、日本代表合宿に呼ばれる

2019年、サンウルブズで活躍する

2018年12月、日本選手権で優勝する

2018年シーズン、神戸製鋼で活躍する

 

つまり、逆算したときの最初のステップである「神戸製鋼で活躍する」ために、どうすればいいのかを悩んでいたのだという。なぜならば、チーム内でも世界トップレベルの選手が集まるなかで、まずは試合に出なければならない。そのためには、本来は10番(スタンドオフ)だけれど、12番(センター)のポジションを選んでプレーしたほうが試合に出られる可能性があるのではないか、と考えていたらしい。

 

ところが、ある日。4月に入部してきたばかりの同じポジションの新人選手に「お前はどのポジションをやるの?」と訊いたところ、迷わず「10番ですよ、だってボールいっぱい触れて、たのしいじゃないですか!」と返されたのだ。そこで、やまちゃんは思った。「そうか、ラグビーをたのしむ、そのきもちのない自分がいいプレーをできるわけがない。『どこにいるか、ではなく、なにをやるか』が大事だよな」と。

 

そこからやまちゃんは、どこのポジションだろうとも、チームが勝つために与えられたポジションを全力でやる、というスタンスに変わった。結果的には、これまでずっと活躍してきた10番ではなく15番で試合に出つづけて、日本代表にも15番として選ばれた。

 

 

* * *

 

「あきらめなかったから、ちゃう?」

 

あきらめない。ことばにするのはカンタンだ。けれど、やまちゃんのこの4年間には、そうとうな覚悟があったのだと思う。あるとき、やまちゃんからこんなメッセージがきた。

 

「ワールドカップは、4年に一回しかないすべてのラグビー選手の夢の舞台だからね!‥‥ん、なんで4年なんでしょう。え、そういえば、なんで『4年』に一度なん?笑」

 

なんだか哲学的な話になりそうでめんどくさかったから、

 

「ちがうよ、一生に一度だよ」

 

と返したら、「そやけども。笑」ときた。「4年に一度じゃない。一生に一度だ。」というコピーを書いた当時は、あくまでも「チケットを売るためのことば」として一般消費者向けに書いたけれど、このことばは、ファンだけでなく選手にも言えることばなんだなぁ、と気づいた。やまちゃんは、早咲きでも遅咲きでもない。夢を追いかけて誇りをもって生きている人は、ずっと咲きつづけているんだよなぁ。

 

* * * 

 

さいごに。いつのことだったか、3人でこんな会話をした。

 

「おれは、裏方として。ふたりは、選手として。ラグビーワールドカップ2019で会おうな」

 

ぼくの話で恐縮だけれど、ぼくの大学時代は、やまちゃんのようなスター選手の陰にいた平凡な選手で、卒業後もだれも知らないような会社に入って、けれど、不完全燃焼だった学生時代を取り戻すようにひたすら仕事とラグビーに打ち込む20代を過ごした。そしてついに、まわりの人のおかげで(お世辞ではなく何者でもないぼくにチャンスをくれて成長させてくれた人たちのおかげで)、ラグビーワールドカップ2019の仕事にたどり着くことができた。まさに、「どこにいるか」(大学や企業)でなく、「なにをやるか」(仕事の中身や姿勢)だった。大会公式キャッチコピー。ボランティアプログラム「TEAM NO-SIDE」。ラグビーまつりプロジェクト2019。ONE TEAM 決起会‥‥けっこう、いろいろやった。ぼくは、裏方として、ラグビーワールドカップに手が届いた。あとは、君たちふたりが選手として日本代表の桜のジャージを着るだけだな、と勝手に話した憶えがある。

 

やまちゃん。ついにその日がきたな。メンバー入りしたから、急きょ、スタジアムまで行くことにしました。ワールドカップの舞台でおなじ空間にいられて、うれしいよ。

 

そして、シュン(布巻)。最後の最後でメンバーから外れてしまったけれど、自分自身と何度も向き合ってうまくいかず悩んでいたときでも、まわりの人のために貢献しつづけていた君を尊敬しています。君は、まだまだ大きくなれると信じてます。

 

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(おわり)