たしかに、よしたに。

あんな人やこんな人について、考えたことを書きます。すこしでも「たしかに」となりますように。

「なるほどですね」と言う人について。

後輩のイデ(仮名)は、
よく会社のデスクで電話をしている。
その彼が、電話をしながら
口癖のように言うセリフがある。
 
「なるほどですねー」
 
多いときは約6秒に1回のペースである。
連呼バージョンもある。
 
「なるほどですねぇーなるほどですねぇー」
 
ボタンでも押してるのかと思った。
 
「なるほど」に「です」を添えて、
さらに、共感を誘う「ね」をふりかける。
それは、まるで、から揚げに豆大福を添えて、
ピーナッツバターをかけたような
「めちゃくちゃですやん」な料理。
そんな違和感を、このことばに感じている。
 から揚げは、から揚げだけで美味しい。
「なるほど」でいいじゃないか。
 
普段はそんなことばを使わないのに、
「ビジネス同士」の関係になるとよく聞くことば。
かんたんに思い出しても、けっこうある。
 
たとえば、なんでも2文字のことばをくりかえす。
 
「ほぼほぼ」
 
「いまいま」
 
ビックリしたのは、
 
「すぐすぐ」
 
そんなにおれはグズグズしてるか、と思った。
 
ほかにも、
 
「変な話」
 
ぜんぜん変じゃないことが多い。
 
あと、営業職の人が、
質問されたときによく使うのが、
 
「それでいうと」
 
そりゃ「それ」について言ってほしいけど‥‥。
(こんど、美容室に行って
「どんな髪型にしますか?」と聞かれたら、
「それでいうと‥‥」と返してみようかな)
 
これらのことばのほとんどは、
ビジネスにおいて会話のリズムをつくるための
「つなぎ」の役割なのだと思う。
そこに意味なんてないのだ。
英語でいう「let me see..」「 well..」や、
政治家でいう「‥‥いうふうに」のように。
 
ラジオのDJがヴォサノヴァをBGMに、
 
「こんな雨の日の午後の日曜。
 だれかが淹れてくれたジンジャーティーを
 飲んで温まるなんてのもいいなぁ。
 そんな相手はいないけど。うふふ。
 Yeah, ***(いきなり早口英語で聞き取れない)
 
なぜかタメ口で、こんなふうに話すのに近い。
あくまで「つなぎ」であり、中身はないのだ。
 
仕事になると、
普段は使わないことばを使ったり、
「営業っぽく」話したりする人は多い。
「そりゃ仕事だから」と言う人もいるだろう。
でも、ぼくの知っている優秀な営業マンは、
みんな「ほんとうのその人」に見える。
だから、信頼したくなる。
じぶんの利益や都合よりも、こちらのことを
本気で考えてくれてるなぁと思える。
 
人は、いろんな主語になれる。
ママのときもあれば、上司のときもあり、
お稽古の生徒になるときだってある。
もちろん、どれも「じぶん」だ。
でも、仕事をしているときこそ、
ほんとうのじぶんでいいんじゃないか。
1日のほとんどは働いているのだから。
 
「仕事のときは仕事のワタシ」。
それも、強気になれたり、
何かを割り切ったりする手段かもしれない。
けれど、無理をしながら仕事をしていると、
ほんとうのじぶんがいったいどこにいるのか
わからなくなってしまうと思う。
 
「オンとオフ」っていう考え方が、
もう時代遅れなんじゃないかしら?
『ありの〜ままの〜』という歌が
流行っている世の中ですから。
 
 
(たしかに、よしたに。)
 
 

街にいる有名人について。

どうでもいいことだけれど、
街でよく有名人を見かける。
 
ぼくのオフィスは表参道にある。
土地柄見つけやすいということもあるが、
おなじ場所でおなじように過ごしている
まわりの社員よりも、圧倒的に、出くわす。
 
タクシーから降りてきたオノ・ヨーコさん、
美容整形外科から出てきたAKB48のとある子、
散歩していた藤原基央さん(BUMP OF CHICKEN)、
スーパーでカートを押す眞鍋かをりさん、
横断歩道を渡るおすぎとピーコのどっちか、
だいたい信号待ちしている井上公造さん、
コンビニから高級車に乗り込む庄司智春さん(品川庄司)、
ラーメン屋でレミオロメンのボーカル(名前なんだっけ)‥‥。
 
アイドル、女優、俳優、芸人、
ミュージシャン、クリエイターまで。
「おれはフライデーの記者か?」
とさえ思うほど、ここに挙げられないくらい、
実に多くの著名人をよく見かける。
 
なんでだろう、と考えてみた。
 
「いるんじゃないかと思っている」
 
これに尽きるように思う。
 
サンタクロースとおなじで、
「いる」と信じていれば、
プレゼントは枕元にやってくる。
 
逆の言い方をすると、
「どうせいないだろう」と思っていると、
ほとんど発見できない。
 
街を歩く人をよく見てほしい。
スマホを見たり、横にいる人と話していたり、
電話をしていたり、足元を見ながら歩いていたり。
私たちは、けっこう、
「周囲を気にしがら歩いていない」。
そんなことに気づく。
 
「今日も誰かいるんだろうなー」
と、目のまえを通りすぎる人の
ひとりひとりの顔やしぐさを気にしてみる。
それだけで、わりと身近に
「あの人」はいるかもしれない。
 
ぼくは、街を歩く人のファッションを見て、
「どんなモノが流行っているのか」を
チェックするクセがある。
だから、よく、「あ」と気づくのだと思う。
 
有名な人(特にクリエイター)は、
こだわりのあるいいモノを身に付けている。
(決して「高価なもの」という意味ではない)
だから、服や靴やモノを見て、
「おっ、コレは」と思って顔を見ると、
「あ、やっぱり」と思うことが多い。
 
しかし、1度だけ例外の人物がいた。
 
高級ファッションブッティックが並ぶ
表参道の並木道を歩いていると、
薄汚れたベースボールキャップを被り、
ぼろぼろのジーンズに、
日に焼けたダボダボのシャツを着た男性が
向こうから歩いてきた。
その容姿は明らかに
かの表参道に似つかわしくない。
 
驚いた。

 

小沢征爾さんである。
 
 
 
「世界のOZAWA」は、
ハッキリ言って(スイマセン)
絵に描いたような浮浪者であった。
 
ホンモノが行き着く先は、
外見とかじゃないんだなー。
「ほかとはちがう雰囲気」という意味で、
「オーラ」はあったけれど。
 
 
(たしかに、よしたに。)