たしかに、よしたに。

あんな人やこんな人について、考えたことを書きます。すこしでも「たしかに」となりますように。

リクルートスーツを着る人について。

今年もこの季節がやってきた。
 
都内のあちこちのカフェが、
髪をうしろにひとつに結び、
黒のスーツを着た女の子たちであふれる。
 
これ、不思議なのが、
男子はあんまりいないんだよなぁ。
この国では女性しか就職活動していないのか?
と、思ってしまうくらい。
 
いや、そんなことを言うと、
「ここにいますけど」って
男子学生が出てくると思うんです。
 
で、すこし考えてみると、
「女の子は目立つ」んじゃないかと。
それはきっと、「スーツ」の問題だと思う。
 
男子学生は就職活動をするときに、
一般的にはスーツを着るけれど、
(まだ社会人でもないのに不思議だけど)
社会に出てからも、同じようなスーツを着る。
 
でも、これが女の子となると、
働きだしたら、ほとんどの人が
あの「リクルートスーツ」という
まっ黒の服を着なくなる。
 
日本では80年代くらいから、
男女が平等に働ける社会をつくりましょうや
という法律ができたものの、なんだかんだ、
女性には公の場で着る「制服(正装)」がない。
 
それは、結婚式などのときにもよく思う。
男性は、とりあえずスーツを着てくればいい。
かたや、女性を見てみると、
適切な言い方がどうかわからないのだけれど、
「銀座のお水の商売」みたいになっている。
髪型にしてみても、
「どうしてそんなに空へ舞い上がったのか」
っていうくらいリーゼントみたいな人もいる。
 
Googleで「男性 正装」と画像検索すると、
タキシードか袴の男性が、ほぼ、現れる。
でも「女性 正装」で同じことをすると、
ワンピース、ブラウス、着物、
どこかの民族衣装みたいなものから、
肌がスケスケのお姉さんまで出てくる。
 
就職活動をしているときしか着ない、
制服でもない、仕事服でもない、
正真正銘の「リクルートスーツ」。
だから女の子がそれを着て街にいると、
「あ、就職活動してる」と目立っちゃう。
 
‥‥と思っているのだけれど、
スーツを着た若めの男の子はあんまり
スターバックスにはいないよなぁ。
煙草の吸えるドトールとかにいるのかな。
 
(たしかに、よしたに。)
 
 

スターバックスにいる人について。

コストパフォーマンスが高い。
 
そう書くと、「えっ」と、
驚かれる人もいるかもしれない。
 
1杯のホットコーヒーが
トール(350ml)で345円。
 
おかわりをすると
(その日限りで店舗は問わない)
1杯が、108円になる。
 
つまり、2杯(750ml)で、
453円となる。
 
ちなみにドトール
ホットコーヒーLサイズは、
270mlで320円。
 
スターバックスのトールサイズ2杯分と
おなじ量に換算すると、530円。
80円ちかく安いことがわかる。
 
それでいて、
インターネットがつながっている。
もちろん無料であり、電源だって
ほとんどの店舗に設置されている。
 
スターバックスにいる顧客は、
そのほとんどが「1人」だと思う。
のこりは、恋人同士、保険の営業、
英語個人レッスン中の人たち、
この時期だとOB訪問などの、
「2人」であることが多い。
 
4人くらいの人数で
都内の店舗に入ろうと思うと、
同時に4席も空く確率は低い。
 
では、その「1人」は何をしているのか。
 
 
一緒に食事をしている友人が、
トイレに席を立った瞬間に
スマートフォンを取り出す。
そんな光景をよく見かけるくらい、
「1人になったらスマートフォン」の時代。
 
そこからニュースを入手して、
友達との連絡や、その近況をながめたり、
音楽を聞きながら、ゲームをしたり。
 
もちろん勉強をしている人、
仕事をしている人もたくさんいる。
しかし、いずれにせよ、「1人客」は
「電源」と「電波」を要することが多い。
 
それらがすべてそろっていて、
なおかつ、コーヒーを2杯のんでも、
453円(友人とシェアすれば1人227円)。
 
「なにをいまさら」と思われるかもしれない。
でも、スターバックスは、やっぱりいい。
 
ちなみに、ぼくがスターバックス
コーヒーを頼むときには、
ちょっとした2つのこだわりがある。
 
夏場をのぞいて、
ドリップコーヒーのホットは、
だいたい2種類の豆が用意されており、
オーダーをすると店員さんから
「どちらにしますか?」と聞かれる。
ぼくは、かならず、
「落としてから時間が
 経っていないほうでお願いします」
と答える。
 
つまり、コーヒーがドリップされてから
時間があまり経っていない「新鮮」なほう。
 
「スタバのコーヒーは美味しくない」
そう言う人のほとんどは、
落としてから時間が経ってしまった
酸味の強くなったコーヒーを飲んでいると思う。
 
淹れたて(落としたて)は、
香りが、ぜんぜんちがう。
そして、酸味がほとんどない。
さらに、温かさがちがう。
 
スターバックスは1時間経過すると
コーヒーをすべて廃棄する。
逆に言えば、落としてから55分経った
コーヒーを飲むことだってある。
ちなみに、タリーズコーヒー
30分で廃棄と決められているので、
スターバックスよりは新鮮な
コーヒーに出会えることが多い。
 
もうひとつのこだわりは、
「マグカップ」で頼むということ。
 
紙カップはそのまま
テイクアウトできるメリットがあるものの、
どうしても「香りまで楽しめない」のだ。
 
コーヒーの楽しみは、香りにもある。
マグカップで飲むときは、
コーヒーと鼻の距離が近くなり、
きちんと香りをかぐことができる。
 
ついでながら、夏場になって
アイスコーヒーを頼むときには、
「スリーブ」を付けてもらう。
あの、ダンボールのような素材の、
手を熱さから守るアレである。
 
夏のドリンクは汗をかく(結露)。
しかし、あのスリーブがすべて吸収し、
テーブルがまったく汚れないのだ。
 
「冷たいドリンクですと
 すべって取れやすいのでご注意ください」
と店員さんに言われてしまうけれど、
今年の夏、よろしければお試しあれ。
 
 
(たしかに、よしたに。)
 
 

批判をする人について。

ある人と話をしていたら、
こんなエピソードを話してくれた。
 
その人が高校生だったときのこと。
授業中に居眠りをしていたら、
学校から親が呼び出されてしまった。
 
ちなみに、ぼくが通っていた高校では、
授業中に生徒の9割が机につっぷして
寝ていることは日常茶飯事。
(それを『視聴率が低い』と呼んでいた)
 
週刊少年ジャンプ』を3週分読破する者、
カップ麺の湯気が頭上に立ちこめている者、
‥‥ここでは書けないものもふくめて、
実に、授業以外のことにみんな熱心だった。
 
我が母校では、居眠りくらいで(失礼)
親がいちいち呼び出されていたら、
まいにちが授業参観の様相を呈してしまう。
それほど、彼女の通っていた高校は
立派な進学校なのだろう。
 
「それはたいへんだったね」と
あいづちを打ちながら、ぼくは考えた。
 
「もしもじぶんが親だったら」
 
じぶんの子どもが居眠りをしていて、
学校から呼び出されてしまったとき。
ぼくなら、どんな振る舞いをするだろう。
 
先生「娘さんが授業中に寝ていましたけど」
 
さぁ、こちらの答弁がはじまる。
 
「うちの娘は西島秀俊のファンです。
 仮に、西島秀俊が先生だったら、
 2徹の麻雀明けでも目を光らせると思います。
 つまり、ワクワクしているからです。
 生徒が居眠りしてしまうほど、
 驚くほど退屈な授業をしている先生を、
 わたしが自宅に呼び出したいくらいです。
 娘が給料をもらって働いていて、
 居眠りしているならお詫びします。
 ですが、こちらは授業料を払って、
 その対価を享受する立場にあります。
 そこのところ、いかがでしょうか
 
 
誕生の瞬間である。
 
 
いえ、ちゃんとお断りしておきたいのは、
実際にこのシチュエーションだったら、
「どうして眠かったの?部活の朝練?」
「あなたの目標はなんだっけ?」
「つらいけど、授業をちゃんと聞かないとね」
と娘と話し合っている。
 
なにを言いたいのかというと、
『しようとおもえば、なんでも、
 クレーム(人のせい)にできる』
ということだ。
 
ちなみに、ぼくは、お金を払う側も、
もらう側もおなじ立場だと思っている。
「お客様は神様」って、ちがうだろう、と。
 
サービスを提供する人がいるから、
それを受けとることができる。
コンビニの店員が深夜にシフトを入れて
働いてくれていなければ、
缶コーヒーひとつだって買えない。
だから、コンビニの店員にも、
「ありがとうございます」とかならず言う。
 
「新人なもんで‥‥」と言う
タクシーの運転手に横柄な態度をとる人も、
「こっちはカネを払ってるんだぞ」
という気持ちがどこかにあるのかもしれない。
そこをたまたま通ってくれたのだ。
いいじゃないか。道くらい教えてあげれば。
 
ホテルオークラの雑誌広告で
「叱られなさい。」というコピーがあった。
そこにはこんなことが書いてある。
 
「お客様に叱っていただくことが、
 どんなに貴重なことなのか。
 叱っていただける信頼関係をいくつ、
 つくることができるのか。
 ホテルオークラが存在するための証です。」
 
批判をする人、クレームを言う人は
どこの世界にも、かならずいる。
やろうとおもえば、どんなことでも、
人のせいにできるから。
 
けれど、クレームを言ってくる人がいたら、
ホテルオークラの姿勢のように、
「そうか、もっとよくなるかも」と思う。
いちど怒られた相手には、
そのあと信頼回復しようとがんばれば、
それ以前よりも親密になることは多い。
 
嫉妬のような批判をしてくる人がいたら、
「それほど誰もやっていないことをできている」
と思うようにすればいいのだ。
みんなが拍手で迎えてくれるようなことは、
たいてい、もうすでに世の中で認められた、
時代おくれのものなのだから。
 
 
批判こそが、ホンモノの賞賛なのだ。
 
 
(たしかに、よしたに。)
 
 

「かゆいところないですか?」と言う人について。

美容室のシャンプーが苦手だ。
 
高校生のときから、
いろいろな人に話している。
 
「あれってコントだよね」と。
 
まず、もうしわけ程度のハンカチ。
どうして、もっと、顔全体を
覆ってくれないのだろうか。
(顔にハンケチーフを乗せられるのは、
 葬式のときだけでじゅうぶんだ)
 
いざ、シャンプーがスタートする。
 
「お湯加減はいかがですかー」
 
「大丈夫です」(実際の声)
「いや、ちょっと熱いけど‥‥」(心の声)
 
「ちから加減はいかがですかー」
 
「大丈夫です」(実際の声)
「痛かったらすぐ言ってます」(心の声)
 
「かゆいところないですかー」
 
「大丈夫ですー」(実際の声)
「この状況でかゆいってどんなよ」(心の声)
 
こんな会話をしている頃には、
もうしわけ程度のハンケチーフが、
しゃべりすぎたせいでズレている。
シャンパー(シャンプーをする人)と
目が合ってしまわないか、
シャイなぼくとしては不安でしかたない。
 
いっそ、聴力検査のときのように、
「大丈夫です」のときは手元のボタンで
「ピー」と押す仕組みはどうだろう。
 
そして、極めつけはコレだ。
 
「洗い流し足りないところないですか?」
 
それは洗っているあなたが
いちばんよく見えているはずだ。
こっちは目をふさがれているのだ。
 
いろいろツっこみたくなる、
美容室での不思議なシャンプータイム。
みなさんは、どんな風にあの時間を
過ごしているのでしょうか。
 
これは余談になってしまうけれど、
(そして、きわめて個人の考えだけれど)
シャンプーって、ほんとうに必要だろうか。
いや、髪を洗うことは必要なのだ。
あの「シャンプー液」の話である。
 
ベトベトの整髪料をつけていなければ、
まいにち、お湯で、時間をかけて
洗っていれば、99%の汚れは落ちる。
嫌なニオイだって、ほとんどしない。
 
ほとんどの人にとって、シャンプーは、
髪を洗っているんじゃない。
「匂いをつけている」のだと思う。
 
あと、シャンプーとリンスは
裏側の表示をみればわかるように、
ほとんど同じ成分でできている。
ただ、リンスには油分が入っている。
シャンプーで落とした頭皮の脂を
また、つけているのだ。
 
売り手にとっては、
シャンプーだけを売るより、2倍売れる。
でも、2倍のシャンプーとリンス液が
排水として海に流れていく。
 
だまされたと思って、
3日くらい、お湯だけで
丁寧に頭皮を洗ってみてください。
もしだれかに「臭いんだけど」と言われても、
一切責任は負いませんのであしからず。
 
(たしかに、よしたに。)
 
 

署名がやたら長い人について。

あたりまえだとおもっていたけど、
よくよくじぶんの頭で考えると、
「ほんとうにあたりまえか?」
と思うことが、けっこうある。
とくに、社会人になってから、
「なんですかそれは」というものが多い。
 
その1つが「メール」である。
まず、「署名」という制度。
 
==============================
 
こんなのとか、
 
//////////////////////////////////////////////////////
 
こんなふうに照れているものや、
 
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 
こんな錯視テストのようなものまで。
思い思いの「ボーダー」で仕切られている。
これって、果たして必要だろうか。
 
 
それではよろしくお願いいたします。
 
株式会社◯◯◯◯
田中太郎(仮)
 
 
これでいいんじゃないか。
手紙を書いて、最後に名前を書くとき、
そこだけビーーって線を引かないもの。
 
たまに発生する事案が、
 
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 
 
このように、とにかく長すぎて、
iPhoneなどの画面でみると
ワケがわからなくなってしまっている状態。
 
あと、不思議に思うのは、
 
E-mail:*******@****.co.jp
 
こんなふうに、
メールアドレスが書かれていること。
 
いまぼくが読んでいるこのメールは、
だれから送られているのでしょうか。
差出人に書いてあるのに、
わざわざ念押しするのはどうしてだろう。
 
ほかにも、この「署名絶対領域」に、
 
「弊社サービスセミナー開催中!」
「挨拶強化月間中!」
「〜お客様とともに、明るい、未来へ〜」
 
こんな、広告的な「お知らせ」や、
「それは御社内でやっていただけますか‥‥?」
といったインナー向けメッセージまで。
 
なんでもアリな、この「署名」。
どこまでがルールで、どこまでが自由なのか。
 
手紙やFAXでやりとりをしていたのが、
E-mailになってまだ20年も経っていない。
 
「お世話になります。」でも、
「いつも大変お世話になっております」でも、
どっちでもいいじゃないか。
いつも「◯◯さん」と言っている人を、
わざわざ「◯◯さま」と書かなくても
そんなに怒られないんじゃないか。
 
そんなカタチだけの体裁よりも、
伝えたいことをわかりやすく、
一方的にならないように書くとか、
目上の人に対しては
「了解です」と書かずに
「かしこまりました」と書くとか。
 
署名ボーダーラインを
★にするか◯にするか悩むより、
そういうところを気にすることのほうが
よっぽど大切なんじゃないか。
 
 
(たしかに、よしたに。)
 
 

「なるほどですね」と言う人について。

後輩のイデ(仮名)は、
よく会社のデスクで電話をしている。
その彼が、電話をしながら
口癖のように言うセリフがある。
 
「なるほどですねー」
 
多いときは約6秒に1回のペースである。
連呼バージョンもある。
 
「なるほどですねぇーなるほどですねぇー」
 
ボタンでも押してるのかと思った。
 
「なるほど」に「です」を添えて、
さらに、共感を誘う「ね」をふりかける。
それは、まるで、から揚げに豆大福を添えて、
ピーナッツバターをかけたような
「めちゃくちゃですやん」な料理。
そんな違和感を、このことばに感じている。
 から揚げは、から揚げだけで美味しい。
「なるほど」でいいじゃないか。
 
普段はそんなことばを使わないのに、
「ビジネス同士」の関係になるとよく聞くことば。
かんたんに思い出しても、けっこうある。
 
たとえば、なんでも2文字のことばをくりかえす。
 
「ほぼほぼ」
 
「いまいま」
 
ビックリしたのは、
 
「すぐすぐ」
 
そんなにおれはグズグズしてるか、と思った。
 
ほかにも、
 
「変な話」
 
ぜんぜん変じゃないことが多い。
 
あと、営業職の人が、
質問されたときによく使うのが、
 
「それでいうと」
 
そりゃ「それ」について言ってほしいけど‥‥。
(こんど、美容室に行って
「どんな髪型にしますか?」と聞かれたら、
「それでいうと‥‥」と返してみようかな)
 
これらのことばのほとんどは、
ビジネスにおいて会話のリズムをつくるための
「つなぎ」の役割なのだと思う。
そこに意味なんてないのだ。
英語でいう「let me see..」「 well..」や、
政治家でいう「‥‥いうふうに」のように。
 
ラジオのDJがヴォサノヴァをBGMに、
 
「こんな雨の日の午後の日曜。
 だれかが淹れてくれたジンジャーティーを
 飲んで温まるなんてのもいいなぁ。
 そんな相手はいないけど。うふふ。
 Yeah, ***(いきなり早口英語で聞き取れない)
 
なぜかタメ口で、こんなふうに話すのに近い。
あくまで「つなぎ」であり、中身はないのだ。
 
仕事になると、
普段は使わないことばを使ったり、
「営業っぽく」話したりする人は多い。
「そりゃ仕事だから」と言う人もいるだろう。
でも、ぼくの知っている優秀な営業マンは、
みんな「ほんとうのその人」に見える。
だから、信頼したくなる。
じぶんの利益や都合よりも、こちらのことを
本気で考えてくれてるなぁと思える。
 
人は、いろんな主語になれる。
ママのときもあれば、上司のときもあり、
お稽古の生徒になるときだってある。
もちろん、どれも「じぶん」だ。
でも、仕事をしているときこそ、
ほんとうのじぶんでいいんじゃないか。
1日のほとんどは働いているのだから。
 
「仕事のときは仕事のワタシ」。
それも、強気になれたり、
何かを割り切ったりする手段かもしれない。
けれど、無理をしながら仕事をしていると、
ほんとうのじぶんがいったいどこにいるのか
わからなくなってしまうと思う。
 
「オンとオフ」っていう考え方が、
もう時代遅れなんじゃないかしら?
『ありの〜ままの〜』という歌が
流行っている世の中ですから。
 
 
(たしかに、よしたに。)
 
 

街にいる有名人について。

どうでもいいことだけれど、
街でよく有名人を見かける。
 
ぼくのオフィスは表参道にある。
土地柄見つけやすいということもあるが、
おなじ場所でおなじように過ごしている
まわりの社員よりも、圧倒的に、出くわす。
 
タクシーから降りてきたオノ・ヨーコさん、
美容整形外科から出てきたAKB48のとある子、
散歩していた藤原基央さん(BUMP OF CHICKEN)、
スーパーでカートを押す眞鍋かをりさん、
横断歩道を渡るおすぎとピーコのどっちか、
だいたい信号待ちしている井上公造さん、
コンビニから高級車に乗り込む庄司智春さん(品川庄司)、
ラーメン屋でレミオロメンのボーカル(名前なんだっけ)‥‥。
 
アイドル、女優、俳優、芸人、
ミュージシャン、クリエイターまで。
「おれはフライデーの記者か?」
とさえ思うほど、ここに挙げられないくらい、
実に多くの著名人をよく見かける。
 
なんでだろう、と考えてみた。
 
「いるんじゃないかと思っている」
 
これに尽きるように思う。
 
サンタクロースとおなじで、
「いる」と信じていれば、
プレゼントは枕元にやってくる。
 
逆の言い方をすると、
「どうせいないだろう」と思っていると、
ほとんど発見できない。
 
街を歩く人をよく見てほしい。
スマホを見たり、横にいる人と話していたり、
電話をしていたり、足元を見ながら歩いていたり。
私たちは、けっこう、
「周囲を気にしがら歩いていない」。
そんなことに気づく。
 
「今日も誰かいるんだろうなー」
と、目のまえを通りすぎる人の
ひとりひとりの顔やしぐさを気にしてみる。
それだけで、わりと身近に
「あの人」はいるかもしれない。
 
ぼくは、街を歩く人のファッションを見て、
「どんなモノが流行っているのか」を
チェックするクセがある。
だから、よく、「あ」と気づくのだと思う。
 
有名な人(特にクリエイター)は、
こだわりのあるいいモノを身に付けている。
(決して「高価なもの」という意味ではない)
だから、服や靴やモノを見て、
「おっ、コレは」と思って顔を見ると、
「あ、やっぱり」と思うことが多い。
 
しかし、1度だけ例外の人物がいた。
 
高級ファッションブッティックが並ぶ
表参道の並木道を歩いていると、
薄汚れたベースボールキャップを被り、
ぼろぼろのジーンズに、
日に焼けたダボダボのシャツを着た男性が
向こうから歩いてきた。
その容姿は明らかに
かの表参道に似つかわしくない。
 
驚いた。

 

小沢征爾さんである。
 
 
 
「世界のOZAWA」は、
ハッキリ言って(スイマセン)
絵に描いたような浮浪者であった。
 
ホンモノが行き着く先は、
外見とかじゃないんだなー。
「ほかとはちがう雰囲気」という意味で、
「オーラ」はあったけれど。
 
 
(たしかに、よしたに。)